―254―は根本中堂像の造像を、次のように記している。「像法ノ時ヲスクヒ給ヘ」トテ、手ヅカラ中堂ノ薬師如来ノ像ヲツクリ、「妙法ノミチヲヒラカム」トチカヒテ、ネムゴロニ天台ノ智者大師ノ跡をヒロメ給ヘリここでは、最澄自刻に加え、制作の目的として像法における薬師如来による救済を挙げている。これは、長久4年(1043)頃の『大日本国法華経験記』の最澄伝にも「誓度像法悪業衆生。手自刻彫薬師如来。安置根本中堂」と記される。像法とは仏教における三時説の一つで、諸説あるが日本では正法に続く1000年の永承6年までと考えられた。この像法の救済は、玄奘訳『薬師瑠璃経本願功徳経』等にみられる、「為利楽像法転時諸有情故」「利益安楽像法転時諸有情故」(『大正新脩大蔵経』14−404C)という、像法転時における薬師如来の利益をふまえたものと考えられる。後白河天皇撰の歌謡集『梁塵秘抄』巻第二にも「像法転じては、薬師の誓ひぞ頼もしき、一度御名を聞く人は、萬の病も無しとぞいふ」「瑠璃の浄土は潔し、月の光はさやかにて、像法転ずる末の世に、遍く照らせば底もなし」と像法転時の薬師如来の利益が謡われていることはよく知られている。ではこの像法転時とは何時を指すかが重要だが、「転」は「起」の意にとれるから、像法が起こるとき、すなわち正法から像法へ変わるときと解するのが一般的のようだ。『阿娑縛抄』巻第四十六には「転」字の解釈をめぐって問答が記されている(『大正新脩大蔵経図像』8−316A)。それによれば、経典をみる限り「転」は「起」の意であるが、利益が転時のみではなく、像法を始まりとして末法まで及ぶとの解釈がされている。先の『梁塵秘抄』の「像法転ずる末の世に」とは、「像法転じて末法の世になった今」と解釈するのが自然であろうから、像法から末法とみていたことがうかがえる。『伝教大師全集』所収の『面授口訣』には、像法転時の解釈について最澄と弟子仁忠の次のような問答が収録されている。一仁忠問言鎮国道場本仏薬師如来専像法教主也故本願経云像法転時利益衆生〔文〕爾者此如来限像法利生不可有末法利益哉先師答云此如来利生方便専兼済像末二世之利益也像法転時者不限像法可亘末法所謂転時転者遷義也廻義也像法転時像法遷者入末法也(『伝教大師全集』5)これによれば仁忠が薬師如来の利益が像法に限られるのか否かを聞いたのに対し、最澄は像末二世にわたるものであり、像法転時の転とは遷あるいは廻と同じ意味で末法
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