鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―263―は、フランスで活躍している作家だけでなく、ロシアと英国の芸術家も取り上げられた。ルイス自身も英国部門の出品作家に選ばれ、Mother and Child、Creation(2点)、マ   マ、A Masque of Timon、A Feast of Overmen、Drawing for Timon of Athens、The ThebaidTimon(2点)、Amazonsの全10点の作品が展示された(注8)。このなかで、批評家の間に、当時最も物議をかもし出したのがMother and Childであった(注9)。1912年10月9日の『スケッチ』〔図6〕の一ページに女性をモデルとした展覧会の絵画作品4枚の図版が大きく並べられた。上段には、ダンカン・グラントとキース・ファン・ドンゲンの手になる肖像画が、下段には、ピカソのHead of A WomanとルイスのMother and Childが配置された(注10)。同時代の批評家P・G・コノディが、ルイスの絵を指して「ピカソのキュビスムを単純化し標準化している」と指摘したように(注11)、両者は一見するとよく似ている。たしかに、右側のルイスのMother and ChildにおいてコンパスやT定規を使った母と子の形象は頭部、首、腕が単純な幾何学形態へと抽象化されている。しかし、それが、同展覧会におけるピカソが見せた洗練された空間的配置、分析的キュビスムとは異なる展開を示していることは否定できない。たとえば、Buffalo Bill〔図7〕は、第二回展に出品されたピカソの作品のなかでも最も分析的な構成が試みられているが、この絵画平面の分析は、一つの対象(ここではカウボーイハットをかぶった口ひげを生やした男)の諸々の部位を正面へと開く過程で諸々の面が示す奥行きに差異をもたらしている。これに対して、ルイスの場合は、対象の3次元的なヴォリュームはそのままに、いやむしろ強調されつつ、背景に分割線が引かれている。現在では1912年の3月にサックヴィル画廊で展示されたイタリア未来派がルイスの作品の直接的起源になっていると言われる(注12)。多くの未来派の作品がキュビスムの手法を借用していることから、当時の英国の批評家の間で未来派とキュビスムの解釈に混乱が起こった。ルイスのMother and Childは、「ロシアの聖母」とも呼ばれ、同時期のロシアで起こった「立体−未来派」との類似も指摘される(注13)。な使用と面の扱い方に未来派の影響をはっきりと認めることができる。具体的には、1912年の未来派展に出品されたルイージ・ルッソロのThe train at full speed(Train envitesse)〔図10〕とジーノ・セヴェリーニのThe Pan-Pan dance at the Monico〔図11〕の作品が予想される(注14)。さらに、Creation〔図8〕、および同年に制作されたTheDancers〔図12〕、Study for Kermesse〔図13〕からは、フライを理念的指導者と仰ぐ同時期のブルームズベリー・グループ、たとえばダンカン・グラントの構図〔図14〕とA Masque of Timon〔図8〕やCreation〔図9〕、The Thebaideを見ると、弧形の大胆

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