注コートールド美術研究所は、2007年8月の折、2004年度の展覧会で展示された素描全点(他機関や個人からの長期寄託による)を保持しており、筆者はこれらの作品を数日にわたって検証することができた。同月23日には、ルイスの母校ラグビー校での展覧会用の作品を選出するために研究所を来訪したルイス研究の第一人者であるポール・エドワーズ氏と知遇を得、ルイスの素描50数点と油彩画1点について意見交換を行った。以来、エドワーズ氏から研究に関して助言をいただいている。 この分類は、コートールド美術研究所素描・版画部門主任学芸員ステファニー・バックらが展覧会時にルイスの経歴を概括したもので、実際には1910年前後はプリミティヴ、1911年から12、13年頃はポスト印象派の影響も強く見られ、独自の運動やスタイルを繰り広げたヴォーティシ―265―後者のほとんどが素描、コラージュであり、試作の場合もある。いずれも弧と線の大胆な配置と黒い線あるいは矩形を基本に動きのある構成が工夫されている。これらの黒い太線や黒色の矩形は、形態というだけでなく移動や回転を示す補助線として機能しているようにも見える。また、ルイスは輪郭線を描く際も常に対象の形の変わり目に留意しており、まさしくこうした構造の結節部分への注目は、彼の経歴において一貫して見出せる芸術態度の特徴と思われる(注22)。結びにかえて当然ながら、非再現的な絵画表現というとき、それが必ずしも画面から形象を除去していき色のついた平面へと向かうグリーンバーグが示唆したような抽象であるとは限らない。ルイスらヴォーティシズムの作品は当時の批評家によって「非再現的」と称されたが(注23)、考察の通り、線が残されている。本調査研究において、こうした形象、とくに線への注目が、ルイスの初期の頃から見出される特徴的な態度であることを確認した。1930年代に書かれた「芸術における線の役割」では、ルイスが美術学校時代に学んだ巨匠の素描が考察されている。「ビュランやペン、絵筆、あるいは鉛筆は、芸術の高潔さを示し、製図工は一枚の白い紙に表現したいことを数本の線に還元する」(注24)。ルイスにとって、線とはまさしく「紙の下の骨」に他ならなかった(注25)。というのも、素描は、隠すことの出来ない緊迫感を伝え、油彩のように塗り重ねられてあいまいにされることもなく、芸術家の精神を最もはっきりと表明するからである。この「紙の下の骨」というルイスの考えについては、ビニョンの著作から彼が知った中国の『六法』の教えとの関連からさらに検討する必要があるだろう。合わせてルイスのオリエンタリズム的志向は、ルイス研究のうえで今後強調されるべき点と思われる(注26)。
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