鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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例えば、伊豆井秀一「陽咸二と『構造社』」『埼玉県立近代美術館紀要』2号、1995年、35−70頁は陽咸二の作家活動と同時に、いち早く前期の「構造社」の活動を論じた先行研究である。齋藤素厳については『齋藤素厳の仕事共同研究「小平市所蔵齋藤素厳遺作研究と作品の保存・活用について」』武蔵野美術大学彫刻学科研究室、2007年がある。■『日展史』12改組編、社団法人日展、1984年、563−604頁。『日展史』13新文展編一、社団法人日■帝展改組に伴う「構造社」の組織上の動きに関する本文の記述は特記のない限り「構造社沿革」『構造社第九回美術展覧会出品目録並にパンフレツト』構造社、1935年、9頁の記載に従った。■齋藤素厳「十五年の思ひ出」『美之国』15巻4号、1939年4月、22−25頁。■新構造社の活動については、田中典子「寺畑助之丞における工芸、建築と彫刻」『構造社―昭■第9回展の出品作に関する本文の記述は『構造社第九回美術展覧会出品目録並にパンフレツト』■拙稿「『構造社』研究―商業美術と『構造社』」『藝叢』23号、筑波大学大学院人間総合科学研大蔵雄夫「上野の彫刻を観て」『美之国』11巻10号、1935年10月、83頁。建築と彫刻の関係を探求した共同制作「綜合試作」ないし「綜合作」は第3回展(1929年)から第8回展(1934年)までほぼ継続的に実践された。その展開については拙稿「構造社と綜合試作」『構造社―昭和初期彫刻の鬼才たち展』前掲注、20−30頁を参照されたい。丹那トンネルの工事については『丹那隋道工事誌』鉄道省熱海建設事務所、1936年を参照。黒川弘穀氏の御教示による。藤井明「小平市所蔵・齋藤素厳の石膏原型について」『齋藤素厳の仕事共同研究「小平市所蔵篠崎未来「齋藤素厳《相》―再制作と彫刻家の表現―」同前、59−60頁。セメント彫刻に関する先行研究には、田中修二「セメント彫刻の戦前・戦中・戦後」『屋外彫藤川勇造・渡辺義知「構造社展雑感」『美之国』7巻10号、1931年6月、45頁。井手則雄「可塑性セメント考察」『日本彫塑』1号、1941年1月、45−51頁。 田中悠「アルトメンタ彫刻に就て」『セメント工芸』27号、1941年5月、1−9頁。なお、柚月■「第拾壱回構造社展覧会目録」構造社、1938年、16頁。 昭和25年に東京都と小野田セメントにより井の頭公園で開催された第1回林間彫刻展(翌年、野外創作彫刻展と改称)は白色ポルトランドセメントを素材とした彫刻展であり、昭和46年まで継続され、今日の野外彫刻展の原型と言われている。戦後の野外彫刻展と野外彫刻設置事業の展開については、竹田直樹『日本の彫刻設置事業モニュメントとパブリックアート』公人の友社、1997年に詳しい。■「昭和十四年度美術界概観」『日本美術年鑑』昭和15年、国書刊行会、1996年、18頁。―18―ち展」は、「構造社」の活動を紹介した国内初の展覧会であり、その図録(浜崎礼二・前村文博編集『構造社―昭和初期彫刻の鬼才たち展』キュレイターズ、2005年)は「構造社」研究の基礎文献として主要な位置にある。展、1984年、643−652頁。和初期彫刻の鬼才たち展』前掲注、172−177頁に詳しい。前掲注■、1−5頁の記載に従った。究科芸術学研究室、2007年、27−59頁。齋藤素厳遺作研究と作品の保存・活用について」』前掲注 、38頁。刻調査保存研究会会報』2号、屋外彫刻調査保存研究会、2002年、26−42頁がある。芳が行った研究報告に柚月芳「アルトメンタ使用片言」『セメント工芸』同前、11頁がある。

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