四川省雅安市高頤闕にみる漢代儒教図像の地域的展開―271―研 究 者:早稲田大学文学学術院 助手 楢 山 満 照はじめに石闕とは、後漢時代の2世紀から3世紀初頭にかけて地上の墓域に造営された石造の門を指し、死者の眠る墳墓に至るまでの参道入口に建てられた建築遺構である。その形態は石材をもって同時代に存在した木造の門闕を模しており、屋根を支える垂木や肘木の間には、神仙世界の住人たちや儒教系歴史故事など、様々な主題をあらわす多くの図像を浮彫りしている。石闕は死者の世界と現世を分かつ役割を担う装飾性豊かな地上のモニュメントであり、漢代の葬送儀礼と深く関わる石刻美術作品として捉えることが可能である。中国国内に現存する石闕の総数32点のうち、四川地域には23点もの作例が集中して確認されている。山東省や河南省にもわずかながら石闕の現存作例があるが、四川石闕を特徴づける点は、他地域の作例には認められない浮彫りの画題の豊富さと、その絵画性にある。とりわけ「周公輔成王」「季札挂剣」「董永侍父」「荊軻刺秦王」など、忠孝の実践に代表される儒教的徳目を内包する画題の存在は留意される。従来、石闕上のそれらの図像については、観る者に対する勧戒的作用を期待したもの、あるいは、儒教の聖賢に比肩する墓主の道徳的倫理観の表明として説明されている(注1)。また、これらの画題は山東省と江蘇省の同時代の画像石にも確認されるが、同様に儒教的範疇におさまる主題として解釈がなされている。しかし、墓域の入口に造営されるが故に、石闕はそれ自体が死者の世界、および地上の現実世界へと続く二面的性格をもつ装置であるならば、石闕上に図像化された神仙や聖賢は、死者の魂の安寧や亡き一族の儒教的高徳を顕彰するためだけのものではなく、地上の現実世界の住民へ向けても何らかの意味を発するものとしてあらわされた可能性があるのではなかろうか。そこで本稿では、四川省雅安市高頤闕および渠県蒲家湾無銘闕の実地調査(2007年10月実施)で得られた成果に基づき、主に儒教の聖賢にみる造形表現に着目することにより造営者の意図を読み解き、四川地域における儒教図像の地域的な受容形態に関して、ひとつのケーススタディーを提示してみたい。一 高頤闕の概況とその図像石闕は中国に現存する最古の地上建築物である。我々は幸いにして、約1800年もの間風雨にさらされながらも、今なお地上に現存する石闕の実作例を目にすることがで
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