注信立祥『漢代画像石綜合研究』文物出版社,2000年、羅二虎著・渡部武訳『中国漢代の画像と―277―で出世することを目論んでいたことも事実であろう。しかし、以上のように考えるのであれば、現世で忠孝を実践することは、単に孝廉に推挙されるための形式的、対外的な行為ではなく、歴史故事に登場する孝子や聖賢たちと同じように、自らも天に祝福され、その結果として仙境へと到達する、そのための一つの手段として捉え直す必要があろう。董永は単なる孝行息子の代表としてではなく、天に嘉され、その恩恵を享受した人物として、石闕にあらわされるに足る人物だったのである。まとめ董永の図像にそのような背景を見出すことができる以上、高頤闕における「神仙のイメージをともなった成王の図」についても同様に解釈することが可能となる。高頤闕の造営者は、まず石闕の造営という孝の実践を通して、孝廉による出世を目論んだと思われる。さらに、自らを理想的な賢人周公に擬えるとともに、成王の姿を神仙として表現することにより、周公の仕えるその場が、地上の現実世界ならぬ神仙世界であることを示した。そして、周公に勝るとも劣らない忠孝の実践を通して、自らも周公に追随するかたちで仙境へと到達したい、そういった造営者の意図、願望が、この図像には色濃く反映されていると考えられよう。歴史故事を媒介として仙境へ到達することを願う、あるいは天からの恩恵を期待する、そうしたいわば「歴史故事に天の感応を仮託する用法」は、四川地域の石闕にみる図像を解釈する際に不可欠な視点であると考えられるのである。以上、本稿では、儒教図像の造形表現に着目することにより、造営者の意図と儒教図像の機能について検討した。その結果、四川地域の石闕にみられる儒教図像が、従来指摘されてきた「勧戒的用法」と、「孝廉制を背景とした対外的自己アピール」という二つの目的に加え、「天の感応を仮託し、自らの昇仙を願う」という目的のもとにあらわされていた点を指摘した。もっとも、以上の観点・視座は、あくまでも四川地域の石闕に限ったケーススタディである。このような捉え方が、漢代美術の理解において普遍的に有効な手段・視点であるのか否か、今後、山東省や河南省に現存する漢代石闕との詳細な比較検討を通してさらに実証していく必要があると考える。画像墓』慶友社,2002年
元のページ ../index.html#287