―283―1.米国東海岸の日本版画の展覧会アメリカ合衆国の東海岸には、優れたコレクションを形成する美術館が数多くあり、特に、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、フリア美術館、シカゴ美術館などは日本美術の収蔵品も充実していることで知られる。これらの美術館では浮世絵のコレクションも形成されており、その経緯は、浮世絵全集などの大型画集や、もしくは「里帰り」展覧会のカタログに掲載され、日本にても知り得るようになってきた。米国内での研究も進められ、浮世絵協会の機関誌で主要なコレクターがまとめられたり、ジャパン・ソサイエティによって20世紀の米国内における浮世絵展のタイトルのとりまとめがなされ、その流れが明らかとなってきたといえるだろう(注2)。米国において、浮世絵の指導者、教育者となり先駆的な役割を果たした人物は、明治11年(1878)より東京帝国大学で哲学の教鞭をとり、明治23年(1890)の帰国後はボストン美術館の日本美術部キュレーターとなったアーネスト・F・フェノロサだった。彼は在日中ビゲローの日本美術コレクションの形成を手伝い、帰国後は初の企画展「北斎とその流派」(“Hokusai, and his school”)を企画した。この展覧会は、ほとんどを館蔵品(ビゲロー・コレクション)で構成したものであったが、フェノロサ自身が持っていた浮世絵も展示された。ただし、肉筆画が172点も陳列されたのに対し、版画はわずかに13点と少なく、おもに肉筆画の編年順の展開を取り扱うもので、「冨嶽三十六景」などの有名な錦絵すらも含まれなかった。その6年後の1896年1月、やはりフェノロサの主導により、初の版画のみの独立し”)が、ニューヨークで開た本格展覧会「浮世絵の巨匠たち」(“The Master of Ukioye催された。447点の出品のうち377点が売立品で、参考品としてフェノロサをはじめ、のちにシカゴやメトロポリタン美術館へ収まる各コレクターの所蔵品70点が出品された(注3)。フェノロサが企画したこの展示会は、ニューヨーク・タイムズで記事となり、詳細な解説が載せられた彼の目録の文章も引用され、米国の新聞において初めて浮世絵の展示が詳しく報じられたのだった。いわば、米国における浮世絵版画展の幕を開けた展覧会と位置づけることができ、その後50年、日米の開戦に至るまで、浮世絵及び日本版画の展覧会は途絶えることなく各地で開催された。〔表〕は、1895年より1940年までの米国東海岸地域における美術館、画廊で行われた日本版画展のうち、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、シカゴ・デイリー・トリビューン、ボストン・グローブ、クリスチャン・サイエンス・モニターの5紙で新聞報道のあったものを抽出したものである。この結果、約50年で111回、これは管見による調査結果であるため、抜け落ちがあることは充分考えられる。なお、斜字で表したものが、マ マ
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