博物学的な資料としての浮世絵への関心―284―ジャパン・ソサイエティの調査(注4)により明らかとなった、各美術館の年報や美術誌等に記録された展覧会で、そのデータと調査の結果である新聞報道をあわせると、のべ227回ということとなる。もちろん報じられていない展示即売会はかなりの数があったことだろうし、美術館記録も追跡できていないものもあるだろうから、大小合わせるとその倍の数は下らないのではないかと予測している。そして、報道と記録の両方を重ね合わせてみると、新聞報道のピークは1900年より1920年代前半までで、それ以降は開催の数に対して、記事になる割合は減っていると言えるだろう。1910年代の記事では、作品の写真が大きく掲載されている記事もあるが、時代が進むにつれて次第に見られなくなっていく。この報道の減少は、アメリカのジャポニスムが1930年頃にブームが去り、興味が急速に失われたという先行研究(注5)と関連性が注目される。また、作品展示の開催場所として目立つのは、シカゴ美術館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館で、これらは今日においても浮世絵の有数のコレクションを蔵する館として知られる。特に、もともとフェノロサやフランク・ロイド・ライトが所持していた浮世絵も含まれる、シカゴ美術館のクラレンス・バッキンガムコレクションは、1915年のバッキンガムの追善展など、毎年のように展覧会が開催されていた。また、大型の美術館ばかりではなく、アメリカン・アート・ギャラリー(ニューヨーク)やアート・クラブ(ワシントンDC)など画廊で、大きなコレクションが動くような展示即売会も同じように、関心が寄せられていたことがうかがえる。展示された作品には、師宣や懐月堂派などの初期浮世絵から、清親や巴水などの近代版画まで含まれ、米国の日本版画の受容には時代や画題の偏りがなく、幅広い興味関心が向けられていたことがわかる。2.新聞にみる浮世絵へのまなざしそれでは、浮世絵に対しどのような視点があったのか、幾つかの新聞記事を事例として取り上げ、検討してみることとしよう。1915年1月14日付のクリスチャン・サイエンス・モニターでは、山中商会ニューヨーク支店が主催した浮世絵展を報じている。大阪の美術商の山中商会は、フェノロサやビゲローの日本での浮世絵収集に携わった経緯から、彼らの斡旋により、1895年にニューヨーク支店を開店し、米国での東洋美術の流通に大きな役割を果たした。山中
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