浮世絵の制作法に対する関心(“Awakening of Interest on Both Sides of the Atlantic in the Great Periods of Japanese Art”1910年8月14日付ニューヨーク・タイムズ)、そこでは大英博物館とメトロポリタン美術館でそれぞれ展示の作品(森租仙、琳派)を写真で紹介し、今後の美術の発展の―285―を経由した東洋美術品の数々は、今日、各美術館・博物館の有数なコレクションの一部として収められている。この山中の出張展示会について、記事では、18世紀の日本の暮らしを紹介し、日本の礼儀や慣習を描くとして、数例の浮世絵について語っている。最も興味を惹くものとして、喜多川歌麿の「両国橋の夕涼み」と鳥文斎栄之の「両国橋下の舟遊び」を示し、江戸一番の盛り場だった夏の両国で楽しむ様子を描いた美人画を紹介したのだった。この他にも、奥村政信、勝川春章、東洲斎写楽、鈴木春信、葛飾北斎の作品を展示品として挙げている。このような視点は、浮世絵に対し美術的にというよりむしろ、博物学的な資料もしくは歴史資料として、その内容の理解をはかったものと言える。同じような観点から語られた記事は、例えば1905年の日露戦争時にボストン公立図書館で開催された、ロシアと日本の両国の版画を比較展示した展覧会(“Exhibition of Russian and Japanesecolored prints” 1905年7月2日付ボストン・デイリー・グローブ)などを例として挙げられよう。この時期のアメリカではすでに、日本の浮世絵がヨーロッパの芸術に影響を与えたことは知られており、その事象についても関心が高かったことが、新聞からもうかがえる。一つの要因として、米国出身画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラーが、ヨーロッパの芸術家の中でいち早く、作品の構図やモティーフの点で浮世絵の影響を強く受けていることがあっただろう。新聞では、大西洋の反対側で開催された浮世絵展を報道することもあり、例えばパリのルーブルでの歌川広重と歌川豊国を中心とした展覧会(1914年2月22日付シカゴ・デイリー・トリビューン)や、ベルリンでの展示オークション(1928年5月6日付ニューヨーク・タイムズ)の内容を、詳しく伝えた。また、ヨーロッパとアメリカ両方の並々ならない日本美術への関心の高さを報じための研究は、浮世絵からのみではなく、幅広く東洋絵画からもなされるべきと述べている。裏を返せば、このような言説が出るほどに、当時のアメリカ美術は浮世絵からの影響を受けていたと皆が認めていたということになる。例えば、美術教育の第一人者としても著名なアーサー・ダウの作品には強く日本の影響がうかがえ、パーサ・ラム、ヘレン・ハイドらは、実際に来日まで果たし、日本の伝統的な版画の制作法を
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