鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―295―ゆるナンセンスである。ドイツ語ではUnsinn、日本語では無意味、不条理、馬鹿げたもの、取るに足らないものといったニュアンスとなる。上記の引用部分が日本語に訳される場合、non-sensoは「無意味」(「無意義」)と訳される場合が多い。「無感覚」とするものもあるが(注6)、この訳語が適当でないことは、ニーチェを参照することではっきりする。さて、デ・キリコは「無意味」の発見者としてショーペンハウアー(1788−1860)とニーチェ(1844−1900)を挙げている。デ・キリコとこの二人の哲学者との関係については様々な言及がなされてきたが、「無意味」の問題は必ずしも焦点とされてきていない。たとえばW・シュミートは、デ・キリコのいう「無意味」がどのように「芸術に転化されえたのか」と問い、「時間と空間の非連続性」によってだと答える(注7)。しかし、そこでは、「無意味」がそもそも何を意味しているのかは問題とされていない。デ・キリコに関する基本文献であるP・バルダッチのモノグラフでも「無意味」への言及は何度もなされているが(注8)、この語の由来や、その意味についての踏み込んだ考察がなされているわけではない。とはいえ稿者は、形而上絵画を「仮象」の絵画化とみなすシュミートの解釈や、デ・キリコの革新性を「開示する意味作用として世界を見た」(注9)ことに置くバルダッチの解釈に異論はない。むしろ「無意味」を焦点とすることで、彼らの解釈をより具体的に捉え直すことができると考える。またデ・キリコがどのような形でショーペンハウアー、ニーチェの著作に触れたのかについてはG・ロースが詳細に検討している(注10)。デ・キリコが弟アンドレア(筆名アルベルト・サヴィニオ1891−1952)と共にニーチェらを読んだのはミュンヘン時代(1906−09年)とされることが多い。だがロースによれば、それはミュンヘンからミラノに移った後のことであり、ニーチェについてはH・アルベール(Henri-Albert Haug 1865−1921)による仏語訳、ショーペンハウアーについては主に伊訳と仏訳を読んでいる。パリ時代の手稿でも引用は仏訳からなされており、少なくとも、デ・キリコが自身の作品を理論化する際、主に参照したのは仏訳だと考えられる。とすれば「無意味」の典拠も、まずは仏語訳に求める必要がある。そして、結論からいえば、デ・キリコが「無意味」の語を採用したのはニーチェからである可能性が高い。というのも、特殊な思想的意味を担った術語として「無意味」が用いられているのは、ショーペンハウアーではなくニーチェにおいてだからである。このため本稿では、ひとまずニーチェの仏語訳に焦点を絞り、「無意味」という語の典拠を検討してみたい。

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