鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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[Historia in nuce]。―私がこれまで聞いた最も深刻なパロディはこう―296―「ニヒリズムが今、現れている。それは、存在することの不快が以前より増したからで2.ニーチェの著作は、主にH・アルベールの翻訳によって、1910年代にはそのほとんどを仏語で読むことができた(注11)。パリ時代の手稿でデ・キリコが引用している『曙光』の第3書182節や(注12)、『この人を見よ』のツァラトゥストラに関する部分は(注13)、明らかにアルベールの訳文に拠っている(注14)。ではアルベール訳において「無意味non-sens」の語はどのような意味を担っているのか。見出される例は多くないが、単純に「馬鹿げている」といった意味に用いられる場合を除くと、それらはほぼ一貫した意味を担っている。重要と思われる箇所を挙げる(以下は仏訳から訳出、強調はイタリック体部分、特に補足が無い場合「無意味」はnon-sens、「意味」.....「歴史の核心『ヨハネ福音書』の「はじめに言葉ありき」のパロディである(このパロディ自体は、ニーチェの友人カール・フクスによる)。『道徳の系譜』(1887年、仏訳1900年)第3部28節。....ある―ところが...............、禁欲的理想は一つの意味を与えた..人間は一つの意味を持った。以後、もはや風に散らされる木の葉ではなく、不条理の、「無意味」の犠牲ではなくなった」(注16)。『力への意志』(1901年、仏訳1903年)第1章10節(後の増補版では55節)。は全くない。むしろ悪の中、あるいは存在の中にさえありえた「意味」[signification]が一般に信じられなくなったからである。解釈がたった一つ崩壊した。だが、それがただ一つの解釈として通っていたために、存在がいかなる意味[signification]も持たず、全てが虚しく思われるようになる。(……)はsensの訳語である)。『人間的、あまりに人間的』(1878−79年、仏訳1902年)第2巻第1部22節。....「苦悩の無意味(苦悩そのものではなく)、それがこれまで人間に課されてきた呪いで...である。「はじめに無意味ありき。無意味はありきしくも)無意味なりき」」(注15)。、神によって!そして神は(神々!(……)

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