―306―「フォトジェニック」な快楽的記号として機能するのだ。ディケンズの小説、ギュス獅子、行商の靴屋、乞食〔図4〕などの事例が挙げられる。いずれも、支配階級間の勇猛な抗争が固有名の顕揚によって綴られる明治維新という「物語」においては、ともすると忘却されがちな存在であり、マイノリティへの視座自体が、社会分析的な見識を示すものだ。だが一方で、こうした眼差しが形成されたのは、必ずしも日本の明治初年という限定された空間においてではなく、広く19世紀後半の先進的な帝国の政治・経済的範図においてであった。かかる視線はまず、自国の内部における階層秩序と富の分配の不均等を暴きながらも、それを同時に固定化する両義的な働きをなした。両義的というのは分析的・啓蒙的でありかつ、エキゾティシズムと好奇のヴェールを通して見ることなのだが、こうした視線は植民地やその周辺のオリエント・アジアに対して、すなわち衰退と頽廃の指標を担わされた「他者」の社会に対しても、同形的に働いた。特に、社会的な階層秩序の下層・周縁に位置する存在が、写真のモティーフとして目立って取り上げられるようになったのは、第二帝政期のパリにも増してマルクスとエンゲルスの思想を生み出す背景となる、ヴィクトリア朝イギリスの諸都市においてである。アメリカのメディア研究者、ナンシー・アームストロングは、明治初年と重なる1868−74年に、グラスゴーの都市再開発を記録したトーマス・アナンの写真が、モノと人が活発に行き交う新しい都市のダイナミズムと近代化から取り残された旧市街の頽廃や貧困とを対比的に捉えたことについて、次のように述べている。こうしたイメージは、純粋かつ簡明な歴史記録であるべきだから、リアリズムの原理を極めて親しく墨守するものであることが期待される。アナンのような写真家がそうしたかったのは疑いない。しかし彼が頽廃を刻印している場所と日常全体を記録した事実は、リアリズムとは対極に位置する幻想的な性質を、これらのイメージに与えているように思える。(注8)要するにぼろぼろなスラムや長屋、生気のない街路、貧困にあえぐ人影の映像は、ターヴ・ドレのイラストにも見られるこうした都市表象を、アームストロングは「アーバン・ゴシック」と呼んでいる。それはまたマルクスとエンゲルスの革命思想のいわば「情操教育」に資する美学的基盤の別名だろう。貧困の主題化という動向は、イギリス出身の紀行写真家が多く活躍したオリエント・アジアにさほどタイムラグのない形で転移した。同じ頃、東アジアで「アーバ
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