鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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+天龍山石窟考―22―――唐代窟を中心に――研 究 者:愛知県立芸術大学芸術資料館 学芸員  神 谷 麻理子はじめに中国山西省太原市郊外に位置する天龍山石窟は、東魏ないしは北斉に造営が始まり、唐まで続いた仏教石窟寺院である。合計25窟を有し、半数以上が唐代窟であるが、これらに刻まれた仏像群は中国唐代彫刻の中でも極めて水準が高く、わが国の天平、平安初期彫刻を考える上でも、重要な作例といえる。しかし、戦前の天龍山石窟の大規模な盗掘や自然環境による風化、なにより開鑿に関する文献資料の乏しさなどから、近年中国側からの積極的な論考が発表されているとはいえ、未だ窟の造営年代は定説を見ない。本研究は、天龍山石窟唐代の仏像彫刻を改めて見直し、様式検討を中心に、唐代窟造営の編年を試みることを目的とする。なお、本稿では紙幅の関係上、その大要を報告する。盗掘以後、世界中に散失した諸像の所在を明らかにし、それらを実見することは非常に困難であるため、先学に頼らざるを得ないのが現状であるが、天龍山石窟へのさらなる関心と理解、所在に関する積極的な情報公開を促す一助になることを願っている。1 唐代窟の構造と造像の特徴天龍山石窟は山の東西両峰に跨り、東から西に向って1窟ずつ番号が付けられる。唐代窟は、東峰の第4窟から第7窟、西峰の第9窟及び第11窟から第15窟、そして第17窟から第21窟で、窟の大きさや形状、造像内容はそれぞれ異なるが、基本的には南面に穿たれ、正壁にあたる北壁、そして東西壁のそれぞれ3壁に、2尊もしくは3尊、5尊像を配する。さらに、木造建築を模した門口やその両側に仁王像を置くなど、特徴的な構造を持つ窟もみられる。なお、第2窟から第5窟の上部にある上層4窟と、現在漫山閣と呼ばれ楼閣を有する第9窟も唐代窟に含まれる可能性があるが、上層4窟については彫像の痕跡がほとんど無いこと、第9窟は他の窟と性質が大きく異なることから、今回は考察の対象外とする。以下、簡単ではあるが、東から若い番号順に見ていく(注1)。なお、概要については〔表1〕にまとめた。北壁は尖拱形の龕内中央に如来坐像、左右に羅漢像を配する。現在、如来像は頭部(第4窟)

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