鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―317―結に菊の図を表す。銘文―背面に墨書で「(梵字)帰命十羅刹女/(梵字)奉納経日本合四千三百十六部也/(梵字)帰命三十番神天正十八年/十一月十一日」「(梵字)一国六拾六施越前之住快祐上人/代八貫五百文」とある。所見―現状では鍍金が落ち、個々の図様が若干見にくい状態となっているのが残念であるが、典型的な③金銅板張り式笈である。図様の種類も多く、動植物の動きや種類に変化を付けている箇所も多い。充実した出来映えの作例といえるだろう。ここでは、上記の作例を概観したうえで、幾つかの問題をまとめてみたい。まず図様についてであるが、①金銅装式については、図様の形や彫りが比較的単純なものが多いと感じられる。図様の形に裁断し、場所によっては透彫りした金銅板を要所々々に貼るため、単純な形態になりがちなのである。一方③金銅板張り式笈については、第一区〜五区の各区は、山から海へ(高所から低所へ)という垂直の空間軸があてはまるという拙稿(注5)での図様構成と各区の性格が確認されることとなった。本稿で報告した■個人蔵笈と■六地蔵寺笈の二作例は、保存状態の差こそあれ、金銅装笈の優作といえる。両者とも、余白を埋めつくす勢いで主要モチーフの他にも動植物文様を彫り、溢れんばかりの生命力を感じることができる。③金銅板張り式笈では、前面が金銅板ですっかり覆われるため、絵画に近い形で図様同志を有機的につなげ、空間を構成することができる。したがって、①金銅装式笈に比して、より複雑な表現を目指す事となるのであろう。また図様の種類については、訶利帝母および十羅刹女や、盤に盛った柑子など、今まで知られていないものを確認することができた。次に笈の制作年代についてであるが、■永源寺笈は弘治二年(1556)銘、■六地蔵寺笈は天正十八年(1590)銘があることを確認することができた。両者とも制作年代の下限を示すものであると考えられる。従来の研究では(注2)①金銅装式と③金銅板張り式には年代差があると言われてきた。①金銅装式笈がより古様を示し、時代が降るに従って金銅板の面積が広がり、③金銅板張り式笈に至るという考え方である。笈全体の構造や金銅板の彫りを見ている限りでは、両者には大きな差があるとは思えず、現段階では年代に隔たりがあると判断する決定的な要素を認めるに至らなかった。この問題については、今後も作品調査を進めながら引き続き取り組んでゆく必要があるだろう。

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