鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注拙稿「金銅装笈の図様構成について―神奈川県立歴史博物館所蔵金銅装笈を中心に―」 岡崎譲「修験道山伏笈概説」『MUSEUM』No. 347、東京国立博物館、1980年■注前掲論文■「新装蓬左文庫・徳川美術館連携 徳川園開園記念特別展 江戸のワンダーランド 大名庭園」■注前掲論文―318―また本研究の調査では、■圓浄寺笈、■永源寺笈、■六地蔵寺笈など、偶然にも破損している箇所から笈の内部を見ることができ、新たな側面に気付くことができた。第二区袋戸と第三区観音扉の間の横框の右端に、溝が刻まれているのである〔図14・15〕。この横框には通常、背負い紐を通すための二つの穴と、それに挟まれるようにして中央に鍵穴が開けられ、銅製筒状の金具がその穴の補強のために嵌めこまれている。これは、この袋戸に鍵をかけ、開閉するための仕組みである。この仕組みは複雑な構造ではないようだ〔図16〕。鍵はおそらく細長い棒状で、先端が屈曲したものが使用されたのだろう。筆者は今までこの鍵穴に関しては、ほとんど注意を払っていなかった。この第二区袋戸は慳貪として開閉可能な場合もあるが、他はほとんど嵌め殺しになっていると思いこんでいた。しかし箱内部から見ると、第二区と第三区の間には棚板を張り、第二区は何かを収納する為の独立した空間であることが多い。拙稿では第二区の袋戸は日月の領域であるとした。また役行者や雨童童子などの尊像を表すことが多い事から、聖性の高い位置と捉えることができる。ものを入れる空間として見た場合、高さが無いため平たいものしか入らない。従って、ここには何か重要な文書か、護符や札、経典類が納められるのが適当ではないかと考える。笈は運搬具であると同時に厨子であり、仏殿であると拙稿では位置づけた。第二区袋戸が施錠装置を備え、「重要な何か」を収納する場所であるとすれば、本研究は金銅装笈のより複合的な性格を確認することとなる。すなわち、笈とは、伽藍の整備されていない土地の人々の信仰にこたえる様々な機能をコンパクトに凝縮した、「移動する寺院」と考えることも可能なのではないだろうか。しかしそれは金銅装笈の一つの側面でしかない。今後も作品調査を継続させ、データを蓄積することで、様々な要素が明らかになって行くであろう。末筆になりましたが、作品の調査をお許し下さった関係各位に深く感謝申し上げます。『佛教芸術』284号、毎日新聞社、2006年展図録、2004年、25頁参照

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