―23―(第5窟)(第6窟)(第7窟)を欠失、右肩から右膝頭、台座の右端も欠損しているが、本来は左手を腹前に、右手を膝前においた降魔印を結ぶ。頭部は堂本コレクションとして収蔵され、頬が張り、眼尻がやや吊り上がり、波状の頭髪であったことがわかる。体躯は細身でさっぱりとした自然な造形で、衣文線はややぎこちないが、布の薄さをよく表現している〔図1〕。左右の羅漢像は、右側の像の下半身一部を除いて共に欠失しており、面貌についても不明である。なお、東壁は右に菩薩坐像、左に菩薩立像を、西壁も東壁と対面するように、左に菩薩坐像、右に菩薩立像を配する。仏龕形の小さな窟で、北壁にあたる中央に定印を結ぶ如来坐像を、東壁には2体の菩薩像があったようだが、痕跡がほとんど残っていないためよくわからない(注2)。西壁にも菩薩坐像がある(注3)。すでに失われた中尊の如来坐像頭部は、旧山中コレクションとして知られ、吊り上がった眼、沈鬱な表情、波状に刻んだ頭髪を持つが〔図2〕、補修の指摘もある(注4)。首から下は、表面が磨滅しているものの大半が原所在地に残っており、抑揚の乏しい体躯で、単調な衣文線を刻んだ通肩の衣を纏う。一方、西壁の菩薩坐像は、現在磨滅が酷く不明な部分が多いが、旧状の写真では、如来坐像とは異なり、動きのある瑞々しい造形を見せる〔図3〕。門口上に木造建築の軒組を模した彫刻を設け、左右に仁王像を配した窟である。北壁中央には如来坐像、左右に羅漢像を、東壁は、中央に如来倚像、右に菩薩半跏像、左に菩薩立像を配する。東壁の如来倚像は、現在盗掘によって剥ぎ取られているが、旧状の写真を見ると、偏袒右肩の衣は非常に薄く、肉感的な造形である。一方、衣文線などやや装飾性が強く、静かな表情には逆に重々しさも感じられる〔図4〕。同壁右の菩薩半跏像は右大腿部から右膝あたりを残すのみで、ほとんどが風化によって失われ、左の菩薩立像も下半身の衣の痕跡をわずかに留める。西壁も中央に如来坐像、右に菩薩立像、左に菩薩半跏像を配していたようだが、盗掘後の所在および旧状の写真も残っていないため、はっきりしない。門口幅が1mに満たない小さな窟である。北壁は、中央に如来坐像、左右に羅漢像を配するが、如来坐像の上半身、右の羅漢像も全て剥ぎ取られ、今はその痕跡のみを残す。左の羅漢像は頭部を欠失、体部のみ残るが風化が進んでおり、造形はほとんどわからない。東壁には菩薩坐像1体を置くが、蓮華座の蓮弁一部と両脚が辛うじて残るのみで、他は表面が摩滅している。西壁にも菩薩坐像1体があったようだが、台座
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