鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―323―〔図6〕が指摘されている(注6)。長講堂像は、上向きの弧4つを連ねる形式である。菩薩形像において連弧形が次に現れるのは、後述する寛喜元年(1229)の熊本・明導寺阿弥陀三尊両脇侍像であることからも、長講堂像の形式が同時代では珍しいことがまず、1210年代までの菩薩形像を取りあげる。12世紀後半から1210年代頃までの奈良仏師作の菩薩形像について、天冠台の基本構成を検討したところ、以下の二形式が主流と見られた。それは、仁平元年(1151)の奈良・長岳寺阿弥陀三尊のうち両脇侍像〔図1〕を初例とする〔紐・連珠・紐・無文帯・花形〕(ただし、長岳寺像は耳より後ろの連珠文を省略)と、寿永2年(1183)の岐阜・横蔵寺大日如来像〔図2〕を初例とする〔紐2条・無文帯・花形〕である(注2)。院政期の典型形式(注3)に用いられる列弁が、奈良仏師の作例では無文帯に置き換わったと言える。これらの奈良仏師作の菩薩形像の天冠台では、全体の形態が直線であり、屈曲するものなどがほとんど見られない点は注目すべきである(注4)。この点は、院政期の菩薩形像の天冠台と同様である。また花形に注目すると、奈良仏師作例では、花形の花弁と花弁の間に隙間を表す点に特徴がある。これは久安4年(1148)とされる和歌山・金剛峯寺大日如来像(谷上大日堂旧在)〔図3〕を初例とし、以後、文治5年(1189)、運慶作の神奈川・浄楽寺阿弥陀三尊のうち両脇侍像〔図4〕に代表されるものである。11世紀後半から12世紀の作例では、康平7年(1064)、長勢作の広隆寺日光、月光菩薩像〔図5〕や、寛治8年(1094)頃の即成院二十五菩薩像(当初像10Gのうち9G)などに代表されるように、花形の各花弁は連続しており、隙間は見られない。この花弁間の隙間は、院政期の作例に見られないことから、12世紀半ば以降、奈良仏師作例にまず現れたものと見られる(注5)。なお、天冠台の形態において、同時代に例を見ない形式として、寿永3年(1184)院尊作と推定される京都・長講堂阿弥陀三尊のうち右脇侍像(左脇侍像の頭部は後補)改めて確認できる。また、基本構成は〔紐・連珠・紐・花形〕であり、列弁を用いない点も珍しい。長講堂像は、連弧形という同時期の菩薩形像に珍しい形式を用いた一方で、花形に隙間を表す点は、おそらく浄楽寺像など奈良仏師作例の天冠台に見られる形式を取り入れたものと考えられる。次に、神将像を取りあげる。12世紀後半の奈良仏師の作例を見ると、意匠の基本構成は〔紐2条〕が最も多く見られる。この形式は、運慶作の文治2年(1186)、静

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