鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―325―長天、多聞天像では、両耳の前方に横長の雲形飾りを表す(注10)。雲形飾りの意匠そのものも珍しいが、こうした大きな飾りを配することで、天冠台の基本となる帯(以下、「基本帯」と呼ぶ)の一部を飾りが覆う点も注目される。雲形飾りが、天冠台の基本帯をつなぐ働きを担うかのごとくである。次に天冠台の形態に注目すると、持国天像〔図17〕は、両耳の上に入りを表し、それを境に上向きの弧を計4つ表す。増長天像〔図18〕は、背面のみに上向きの弧3つを、広目天像〔図19〕は、側面では前頭部へむかってわずかに前上がりに表し、背面に上向きの弧2つを連ねる(注11)。前述のように、願成就院、浄楽寺毘沙門天像や、金剛峯寺像のうち持国天、増長天、広目天像は、両側面で屈曲せず前上がりに表し、構成要素は〔紐2条〕であった。この点において、装飾性に富む南円堂像とは対照的と言える。南円堂像のこうした天冠台やその飾りに見る意匠の華やかさは、甲の意匠〔図20〕など像全体に通じるものであり、天冠台の意匠についても、像全体の装飾をふまえて採用されたものと捉えたい(注12)。1220年代以降、菩薩形像において意匠や形態に変化が見られるようになる。第1に、従来は〔紐2条・列弁(または無文帯)・花形〕や、〔紐・連珠・紐・列弁(または無文帯)・花形〕など、3または4種類の構成要素を用いたのに対し、1220年代以降は、4種類の構成要素を組み合わせる例が減り、中でも花形の使用例が減る傾向にあることが指摘できる。特に〔紐2条・列弁〕が主流となるようである。第2に、11世紀後半から1210年代まで、神将像に限り用いられ、長講堂像を除き、菩薩形像には見られなかった連弧形の形態が見られるようになることである。第1の構成要素の変化については、〔紐2条・列弁〕を表す年代のわかる最も早い例として、貞応3年(1224)、肥後定慶作の京都・大報恩寺六観音菩薩のうち准胝〔図21〕、千手、馬頭、如意輪観音菩薩像が挙げられる。特に像内に肥後別当定慶の銘がある准胝観音菩薩像では、周知のように、4つの菊座飾りの中心に髪束を通し、正面、両側面において天冠台に髪束をからませる。同じく肥後定慶作の嘉禄2年(1226)、京都・鞍馬寺聖観音菩薩像〔図22〕においても、〔紐・無文帯・紐・列弁〕と基本構成は異なるものの花形は用いられず、菊座飾りに髪束を通し、天冠台に髪束をからませる。大報恩寺准胝像、2年後の鞍馬寺像において、こうした髪の処理と、花形を用いない簡素な天冠台の構成要素の2点が同時に現れ、ともに12世紀後半から1210年代までの菩薩形像には基本的に見られないことが注目される(注13)。この点より、花形を用いない簡素な天冠台への変化は、髪束を天冠台にからませる形式や、天冠台飾

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