―326―りに通す形式と密接に関係するものと想定したい。次に、1220年代以降の菩薩形像の天冠台に、連弧形が現れることについて述べる。11世紀後半から12世紀後半において、屈曲する形式や連弧形式は、長講堂像を除いて基本的に神将像に限って用いられるものであった。この連弧形が菩薩形像に現れた年代の判明する最初の例は、寛喜元年(1229)、明導寺阿弥陀三尊のうち両脇侍像〔図23〕である。右脇侍像では菊座に髪束を通すのに対し、左脇侍像では輪状の髪束に髪束を通すなど細部で異なり、両脇侍間で多少の変化を持たせている。その後の菩薩形像における天冠台の形態は、連弧形や前上がりの形など、1220年代より以前には神将像に限って用いられた形式が加わり、様々に選択されて多様となる。両脇侍像において、2像の間で天冠台の形態等を変える例も見られ、前述の明導寺像や、寛元2年(1244)、覚俊作の岐阜・願興寺釈迦三尊のうち両脇侍像、寛元5年(1247)頃の山形・本山慈恩寺両脇侍像などが挙げられる。願興寺像では、左脇侍像は〔紐2条〕を直線で表し、右脇侍像(〔紐2条・列弁〕)は、前頭部へ向かって前上がりとし、背面に上向きの弧2つを連ねる。本山慈恩寺像では、左脇侍像は連弧形、右脇侍像は前上がりの形とする。こうした相違は、脇侍像における対比表現と考えられ、天冠台の形式が対比表現として用いられる点は注目される。なお、明導寺像などに見られる連弧形の天冠台については、8世紀後半から9世紀にかけては小壇像を中心に流行することが指摘され、延暦10年(791)の興福寺北円堂四天王像、京都・醍醐寺聖観音菩薩像(9世紀前半)〔図24〕、山形・宝積院十一面観音菩薩像(9世紀後半)、奈良・-城寺観音菩薩像(9世紀)〔図25〕などが挙げられている(注14)。このほか、連弧形を表す彫刻、絵画の例を探索したところ、日本の仏画と宋代の彫刻に確認することができた。仏画では、正面において飾りではなく基本帯の下縁において入りを表し、上向きの弧を描くものを検討した。天冠台の下縁に入りを表さないものが多いものの、弧を表す例としてボストン美術館如意輪観音菩薩像(12世紀)〔図26〕、興福寺増長天像(12〜13世紀)、建久2年(1191)、宅間勝賀筆の東寺十二天屏風のうち地天、日天像〔図27〕、奈良・興福院阿弥陀二十五菩薩来迎図(13世紀)、京都・金戒光明寺山越阿弥陀図(13世紀)などが挙げられる。13世紀に入ると、弧を連ねる形式が増えるようである。なお、南宋・淳煕10年(1183)、京都・知恩院阿弥陀浄土図や、普悦筆、京都・清浄華院阿弥陀三尊像(南宋、12世紀)、岐阜・永保寺千手千眼観音菩薩像(南宋、12世紀)など、宋代仏画に描かれる菩薩像には、連弧形のものは見られなかった。
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