なお、建保5年(1217)、院能作と見られる京都・寂照院持国天像は、両耳の前後に入りを表また、貞応3年(1224)、肥後定慶作の東京芸術大学毘沙門天像(〔紐2条〕)や、湛慶作の高知・雪蹊寺毘沙門天像(〔紐・無文帯・紐〕、13世紀前半)も前上がりの形態であり、構成要素は簡素と言える。運慶次世代の仏師の作例を鑑みても、南円堂の特異性が追認されると思われる。神奈川・金剛寺阿弥陀堂の観音・勢至菩薩像は、天冠台の菊座飾りに束髪を通す形に表され、「肥後定慶の初期作品と同時期の1220年代を降らぬものとみるのが自然であろう」と述べられている(山本勉・佐々木登美子「秦野・金剛寺阿弥陀堂の観音・勢至菩薩像とその金属製光背」〔『企画展 仏の荘厳〜飾り讃えるもの〜』図録〕、2006年2月、神奈川県立金沢文庫、引用部分は山本氏の執筆)。松田誠一郎「大阪・道明寺十一面観音像(伝試みの観音)について」(上)(『MUSEUM』448)、このほか、四川省・安岳千仏砦第56号窟左右壁の菩薩像2G(唐)、安岳園覚洞第59号龕の観音菩薩像(五代)などにも見られるが(『安岳石窟芸術』、1997年4月、四川人民出版社)、各龕の詳細不明のため、今後も引き続き検討を行いたい。―328―図5 日光菩薩像 天冠台正面 京都・広隆寺図1 左脇侍像(阿弥陀三尊のうち)天冠台正面 奈良・長岳寺図3 大日如来像 天冠台右斜側面和歌山・金剛峯寺図2 大日如来像 天冠台左側面 岐阜・横蔵寺図4 右脇侍像(阿弥陀三尊のうち)天冠台正面 神奈川・浄楽寺図6 右脇侍像 天冠台右側面 京都・長講堂1988年7月。し、連弧形と見られるが、未見のためここでは注記するにとどめる。
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