<ドヴァーラヴァティー時代の法輪図像―332―(注3)に乗るという構図をとるのだが、三尊の脇侍や乗の図様は一様ではない。ま―パナッサボーディーに乗る三尊像の成立と展開―研 究 者:九州国立博物館 研究員 原 田 あゆみはじめにあらゆる仏教経典の中で、転法輪経ほど数多くの同一経典が伝えられているものは他に例を見ない。それは転法輪経や転法輪の事実が仏教者の間にもっとも深く関心がもたれていたことを意味し、多くの時代・地域にわたり様々な形で造形化されてきた。そして、造形化された法輪は礼拝対象としてだけでなく、儀礼や仏教の教えを説く場で機能していたはずである。ドヴァーラヴァティー(注1)では、礼拝対象として、仏塔、仏像以外に立体の石造法輪が数多くつくられていたことが知られている〔図1〕。石造法輪は大部分が直径1メートル前後かそれ以上で、両面ほぼ全面に彫刻がほどこされ、一部の法輪には転法輪経が刻まれていることもある。そしてほとんどの法輪の車軸前面は荒削りで=穴があり、その上部には小孔が貫通している。このことから、荒削りの車軸前面を覆うように他の部材を=穴に差し込んでいたことが考えられ、この法輪車軸部と近い構造をもつ三尊像の浮彫石板〔図2、3、4〕との関係性が指摘されてきた(注2)。三尊は仏陀を中心に両脇侍と構成され、タイでパナッサボーディーと言われる幻獣た、法輪と三尊像の組み合わせにどのような意味があるのか、そもそも、なぜ仏教が伝来した地域の中で立体法輪を多数制作したのはドヴァーラヴァティーに限られるのか等、多くの興味深い問題がある。本稿ではこれらの問題の中から、法輪図像がテクストとどう関係したかを取り上げ、ドヴァーラヴァティーで法輪の造形化が重視され、独特の展開を遂げるその有様を明らかにしてみたい。1 転法輪経とドヴァラーヴァティーの法輪転法輪経という経典は本来、釈尊の最初の転法輪、すなわち五比丘に対する最初の説法を揚げている経典である。独立した経典として、または輯録の中に納められているものとして23種がある。転法輪経の内容は、快楽と苦行の二辺を離れた中道を説いた中道説、四つの正なる真理(四諦)に関して、それぞれ三種の段階(支転・勧転・証転)で、十二度考察することを説いた三転十二行相が中心となる(注4)。
元のページ ../index.html#342