の=穴があいた立方体の頂板〔図7〕、柱頭の法輪である〔図6〕。ウートーンのよう―333―さて、ドヴァラーヴァティーの法輪は、発見後、王室コレクションに入ったもの、信仰の対象として祀られたものと様々であるが、各法輪の原位置について正しく復元する発掘報告書のような参考データはほとんどない。ただ、1963年にスパンブリー県ウートーン郡仏塔第11号付近から完存の法輪一式が発見されたことにより、石造法輪はいくつかのパーツを組みあわせた構造であることが明らかになった(注5)〔図5〕。すなわち、箱形の柱基〔図8〕、継ぎ目のない八角形の柱身、柱と法輪をつなぐために法輪、箱形頂板、柱、柱基が一具で出土した例は他にないが、柱を差し込んだと思われる=穴の開いた箱形の台座や、柱と台座の組も多数見つかっている。それ故、ドヴァーラヴァティーの法輪はインドの法輪同様、柱上に法輪を頂いて仏塔の近辺に設置されていた事例がみとめられたが、無論、これをもって法輪全てが柱上に設置されていたとは断定できない。しかし、完存の法輪一式の発見によって、それまで別個に見つかっていた石柱や、穴の開いた箱形頂板や台座が、一つの関係性の中で考えられることになった。いまは法輪の出土状況、それぞれの概要については省略するが、現在確認できるものは完存形他、断片含め、51例にのぼる(注6)。また、法輪を載せていたと考えられる石柱や箱形頂板等も数多く残っており、全体を見渡した場合、碑文を刻んだ例は16点確認されている〔表1〕。このうち、表1−13、15、16を除いては、全てパーリ語で書かれ、内容はほとんどが転法輪経もしくは律蔵、経蔵中の経説から引用されている。このうち、ナコーンパトム県ムアン郡出土法輪とペッチャブーン県ウィチェンブリー郡シーテープ遺跡出土法輪は状態が良好なため、法輪に刻まれた碑文の全体像を知ることができる。① ナコーンパトム県ムアン郡出土法輪 バンコク国立博物館蔵碑文は法輪の縁、15本の輻、車軸の側面と表面にパーリ語パッラヴァ文字で刻まれている。15本中12本の輻には、四つの聖なる真理「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」がそれぞれに三種の段階で刻まれていることから、パーリ『相応部』の転法輪経中の四諦の三転十二行相が記されていることがわかる(注7)。車輪部の縁には、三転(支転・勧転・証転)が刻まれる。また、車軸外輪には「聖なる者は法輪を転じる」とあり、車軸内輪には「四諦。真実を知り、すべきことを知り、成したことを知ることに従い三転し、十二行相をなす」という偈が記されている(注8)。この法輪碑文についての研究は1956年、G. セデスによって初めて発表された(注9)。セデスが注目したのは、輻の第13本目から15本目に刻まれた経文で、パーリ
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