鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―337―にあわせる構成の場合は坐像である〔表2−24、25〕〔図4〕。② 左右の脇侍に区別をつける三尊形式A.インドラ、ブラフマーを脇侍とする三尊形式主尊は全て立像。脇侍の持物は左右ともに同じだが、髪型、着衣の別をつくるタイプと、持物で左右の別をつくるタイプがある。前者の場合、時に一部省略されることもあるが、多くは一方が長い腰布を身にまとい、髻を高く結い、聖紐をつけ、もう一方が短い腰布をまとい、胸飾などの装身具をつけ、冠をあらわす〔表2−2、5、6、11、12、13〕。上記の形式の作例は他の彫刻にも多くみられることから、一般的な図像であったと考えられる(注19)。R. タムルンルアンは、インドの三尊像の変容を参考にそれぞれをブラフマーとインドラに同定した(注20)。また、後者のタイプはそれぞれの脇侍が払子と傘蓋を持物としている〔表2−19、20〕。パーラ朝における三十三天降下の図像との比較から、それぞれブラフマーとインドラと言う事ができるだろう。B.菩薩を脇侍とする三尊形式ロップブリー県サップチャムパー出土の三尊像脇侍〔表2−8〕は一方が長い腰布をつけ髻を結い、左手に未敷蓮華を持ち右手を垂下する。もう一方は短い腰布で冠を被り、右手に未敷蓮華を持ち左手に金剛杵らしきものを持つ。似通った三尊像をアジア・ソサイエティー美術館が所蔵しており、これも一方が金剛杵と考えられる持物を持っている(注21)〔表2−7〕。また着衣に左右の違いはなく両方とも長い腰布を身にまとい、一方が髻を高く結い上げ、時に聖紐をつけ、もう一方が水瓶を持つことで区別をする作例もいくつか認められる〔表2−1、4〕。残念ながらこれら浮彫石板の三尊像には、はっきりした標幟がない。水瓶や金剛杵を持つ像はラーチャブリー県クーブア遺跡出土の壁面彫刻にもあり、それぞれラーチャブリー国立博物館とバンコク国立博物館に所蔵されている。ラーチャブリー博の像は左手に金剛杵を持ち、短い腰布に上半身に装身具をつけ豪華な冠を被る。もう一方バンコク博の像は、右手に水瓶を持ち、長い腰布に肩から聖紐をかけ、髻を高く結い上げる。金剛手菩薩と観音菩薩であることが推察されるが、同じクーブア遺跡からは仏塔の標幟をつけた髪髻冠形の菩薩頭部が出土しており、一概に髪髻冠形が観音菩薩とは断じがたい。また金剛杵はヴァジュラパーニーの持物であるが、古くはインドラの持物で、水瓶についてもブラフマーの持物でもあり、時代、地域によって持者の尊格は異なる(注22)。そのため尊格の同定は難しいのだが、それぞれの図様を系統づけて整理したところ、浮彫石板の脇侍図像はそれぞれのタイプごとに一

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