鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
348/499

―338―定の決まりがあったことがうかがえた。最後に三尊が乗る乗物について考えてみたい。パナッサボーディーと言われる幻獣がいくつかの動物の特徴を組み合わせてつくられていることは、先行研究で明らかなとおりで、詳細は別稿にゆずりたい。これらの乗は、幻獣型と神像型があり〔表2「乗」〕、神像は両手に蓮華を持つ事から、スーリヤ神であると考えられている〔図12〕。神像が持つ蓮茎は三尊の台座としてつながり、これを蓮茎型として系統づけた場合、このタイプは左右の脇侍が区別されていた。幻獣型は神像型のように直接蓮茎をもたず、両翼に蓮台をあらわすものと、蓮台が省略されるものとがあり、前者は脇侍に左右の別をつくるが、後者は左右対称であるという傾向が見えてきた。作行きを比較した場合、蓮茎型は像容が整っているものが多く、小さくも量感のある像もあり、その初発性がうかがえる。以上、見てきたように、三尊像浮彫石板においても図像の多様性が指摘できるが、①と②のどちらの形式が早い時期かについては判じがたい。ドヴァラーヴァティーの法輪碑文が、原典を一つに絞り込むことができないように、石造法輪の制作を指揮した人物は、一つの転法輪経をもとに図像を指示したのではなく、いくつかのテクストをもとに全体を構成したのだと想像される。全てに共通して言えるのは、三尊像の乗が天空を想起するスーリヤや有翼獣であることで、背後に雲をあらわしていることからも、法輪に日輪のイメージを重ねたことが考えられる。4 まとめ碑文の内容について言えば、仏教の教理が記されたのはパーリ語に限定され、サンスクリット、モン語の内容は記録的、記念碑的な性格をもっており、内容によって言語を使い分けていたことが指摘されている(注23)。それは、碑文の出典がパーリ三蔵に限定されるということではなく、多くの経典、また注釈書に慣れ親しんだ僧侶達が、様々なテキストから教説を厳選し、パーリ語で記し得たということを意味するのではないだろうか。そして、法輪図像の変容には、法輪の機能として以下のような捉え方の経緯もしくは混在があったと考えられる。1.転法輪経をあらわす法輪 寺院の表看板として機能2.日輪と法輪の密接な関係 日輪と法輪を礼拝3.様々な部派が伝持する教義、説話に表された理や仏陀観を具体的に絵解の図像やテクストの内容を十分知り得ており、多くの選択肢の中から独自の再解釈がR. ブラウンは、ドヴァラーヴァティーにおいては、インドで展開した様々な部派

元のページ  ../index.html#348

このブックを見る