鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注6世紀後半から11世紀にかけて、現在のタイ国中央部を中心に上座部仏教を背景に栄えた国であるが、点在する都市が河川を通じた交易により緩やかに連合していたと考えられ、文化的には広い範囲に共通性が認められる。 Brown, Robert L. The Dv-aravat-ı Wheels of the Law and the Indianization of South East Asia, Leiden/■この呼び名はナリット親王(1863−1947)が古代インドネシア石造建築に見られる怪獣カーラをVanaspatiと呼んだオランダ人研究者にならって使用したことが最初だという。Vanaspatiは「森の王」を意味する。三尊像が乗る幻獣は一説に、ヒンドゥー教三大神の乗物、すなわちシヴァが乗るナンディン(牛)、ヴィシュヌが乗るガルダ、ブラフマーが乗るハンサ(鵞鳥)を一体化させた乗物で、それに乗る仏陀三尊は佛教の優位性を説くと理解されているが、定かではない。なお、タイ語ではサンスクリットのVがPhに変わることがある。■律蔵関係の転法輪経の中には最初の日から数日後に五比丘のために説いたとされる五蘊無我説が含まれる事もある。水野弘元氏は、これを含むものを広義の転法輪経として捉え、現存する5類23種の転法輪経の重複、同類を整理し、その特質を5類に分類している。水野弘元「『転法輪経』について」『仏教文献研究 水野弘元著作集1』、春秋社、1996年、243〜273頁。なお転法輪経については平川彰「四諦説の種々相と法観」『平川彰著作集第1巻法と縁起』春秋社、1988年を参考にした。―339―行われたことを指摘する。その一方で、必ずしも文献の意味を理解した上で造形化したわけではないことについても言及している(注24)。ドヴァラーヴァティーの法輪図像全体を復元しつつ検討すると、教義と現実の信仰の実態が同居していることが浮かび上がってくる。上座部仏教の思想的背景をもって制作されつつ、様々な情報をもとに法輪の機能を変えていったことがドヴァーラヴァティーで法輪が独自の展開を遂げた大きな理由ではないだろうか。今後、どのような図像世界を表したのか、それぞれ独自の様相を読み解くことが重要と思われる。New York: E. J. Brill, 1996. p. 82. ブラウンの論文は、ドヴァラーヴァティーの法輪について碑文内容の考察、文様の比較検討、図像解釈という方法から広く資料を博捜し検討を加えたもので、法輪資料としても多大な便宜を提供している。論文中、三尊像浮彫石板に関しても多くの示唆に富んだ指摘をしているが、結論を見ていない。他の先行研究としては以下のとおり。Yupho, Dhanit. “Brahma with Four Face(in Thai).” Silapakorn, vol.9no.2, Bangkok: SilapakornUniversity, 1965, pp. 22−34.Thongcue, Phaothong. “Buddha on 'Vanaspati'(in Thai).” A Thesis for Degree Master of Arts,Department of Archaeology, Graduate school Silpakorn University, 1978. Thamrungraeng, Rungroj. “Buddha Image with Vanaspati in Dvaravati Art(in Thai).”, A Thesis forDegree Master of Arts, Department of History of Art, Graduate school Silpakorn University, 2002.伊東照司「タイ国古代美術における仏陀を乗せた怪獣の図像と展開」『美術史研究』第11号、1974年、28〜30頁。

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