鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―25―を見せ、自由で堂々とした姿勢が特徴である。特に西壁の菩薩半跏像(厳密には「半跏」といい難いが)は生々しさを感じさせる、極めて優美な像として名高い〔図6〕。それらの造形には緊張感もあり、天龍山石窟を代表する窟といっても過言ではない。(第15窟)門口の左右に仁王像を置き、上部に木造建築を模した軒組を設けるが、風化が進んでいる。また、門口左に碑があったようで長方形に切り取られた跡が残り、さらに後世のものであろうが、岩壁表面に楼閣建立の跡らしき方形の穴が見られる。これらの様子から、本来唐代窟の中でも重要な窟であったのではないかと推測される。だが、残念ながら内部は浸食のため像が全く残っていない。そのためか旧状の写真も公開されておらず、像容は全く不明である。李裕群氏の調査によれば、北壁は中央に如来像、左右に羅漢像、菩薩像を置く五尊像、東壁は中央に如来像、左右に菩薩像の三尊像、西壁も中央に如来像、左右に菩薩像を置く三尊像であったという(注5)。(第17窟)地上から約4mの高さにあり、通常は梯子を用いないと中に入ることができない。門口左右には仁王像があったが、現在は削り取られている。北壁は、中央に如来坐像、右に菩薩坐像、左に菩薩半跏像の三尊像、東壁中央には如来倚像、左右の内側に菩薩立像、外側に菩薩半跏像を置いた五尊像を〔図7〕、西壁も東壁同様、中央に如来坐像を配した五尊像を構成する。第17窟は高所であったためか、盗掘の被害も他の窟に比べて少なく、残存部分も多い。旧状の写真もよく残り、散在した像の所在地も比較的知られているため、ある程度の像容を知ることができる。特徴としては、眼が吊り上がった重々しい面貌、煩さが目立つ衣文線、自然な抑揚に欠ける肉体表現などがあげられる。(第18窟)窟の門口が崩壊したため、前方付近が大きく露出する。北壁は中央に降魔印の如来坐像、左右の内側に菩薩立像、外側に菩薩坐像を配する五尊像、東壁も中央に如来坐像、左右内側に菩薩半跏像、外側に菩薩立像を配した五尊像であった〔図8〕。西壁は三尊構成であったようだが、如来坐像と左の菩薩半跏像を残すのみで、右脇侍は崩落のため痕跡が失われている。本窟の北壁と東西壁の造形が異なることは早くから指摘されており(注6)、面貌や体躯、衣文の表現などに大きな差が見られる。東西壁の諸像が豊満な肉付きと、滑らかな衣文線を見せるのに対し、北壁諸像は肉体表現に硬さが目立ち、衣文線等も単調である。また、東西両壁の如来坐像が蓮華座で懸裳をつくるのに対し、北壁の如来坐像は方座で懸裳もつくらない。

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