=パブロ・ピカソ初期作品と伝統―344――スペイン前衛美術と「スペイン的」なものをめぐって―研 究 者:神戸大学大学院 文化学研究科 博士課程財団法人大原美術館 学芸員 孝 岡 睦 子はじめに本調査研究は、スペイン南部の都市マラガに生まれた芸術家パブロ・ピカソ(Pablo PICASSO, 1881−1973)の作品とスペインの伝統や古典美術との関係に焦点を当てたものである。ここではスペイン、主にカタルーニャ地方の大都市バルセロナを中心に展開した美術運動モデルニズムとピカソが深く関わりをもつ1898年頃から1907年に代表作《アヴィニョンの娘たち》(1907年6〜7月、ニューヨーク近代美術館)〔図1〕をパリで完成させるまでの期間に着目する。《アヴィニョンの娘たち》については、いわゆる20世紀美術の幕開けを告げる作品として「最初のキュビスム絵画」や「純粋に自律した絵画空間の探求」とみる見解やアフリカ、オセアニア芸術からの影響をめぐる言説はもとより、美術史家などによって様々な論考が提出されてきたスの絵画、くわえてイベリア彫刻やエル・グレコ、そしてゴヤの作品などいくつもの影響や引用も見られているのである(注2)。近年、アヴァンギャルドと伝統、あるいは古典との関係性が問い直されている中で、この問題をピカソ作品に照らし合わせて考えていくことは非常に意義深いことであると考える(注3)。とりわけ《アヴィニョンの娘たち》において指摘されている影響・引用の対象が、スペインの古典絵画、あるいは古代イベリア芸術であるのに対して、他方ではフランスの近代絵画が主であるという点は、モデルニズムの中でピカソが前衛的な表現に対して自覚的となり、さらに1900年を境にバルセロナから当時の芸術の中心地パリの地を踏んだことを考慮すると無視することはできないであろう(注4)。なぜならばその時期はまさにスペイン、特にバルセロナがピレネー山脈の向こう側をモデルに近代化を目指すと同時に、固有の民族意識を強化すべくその起源や伝統を再認識しようとした、表面的には相反する流れが衝突する場の只中にあったからである。このような視点からのピカソ作品へのアプローチはモデルニズムを中心に行われたエル・グレコの再評価を例として、すでにロバート・ルーバーが鋭い考察を行っているが(注5)、本研究は世紀転換期のスペインとフランスの時代背景にも目を向けつつ、ピカソがモデルニズムの活動と深く関わりを持つ時期からパリの美術界に進出してゆく諸様を検証し、それを伝統と(注1)。だが一方で、この作品にはフランスの画家アングル、セザンヌ、ドガ、マチ
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