鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―345―近代化をキーワードとして考察してゆくものである。1.ピカソの場合1)バルセロナにてピカソが初の個展を開催した場所は、モデルニズムの活動拠点バルセロナの居酒屋「四匹の猫」である。1900年2月に行われたその展覧会は、3点の油彩画と150点あまりの木炭によるモデルニスタを中心に彼の周囲にいる人々を描いた肖像デッサンによって構成されるものであった。この展覧会によせて地元の新聞などが好意的あるいはそうではないにせよいくつか記事を掲載しているが(注6)、ここではピカソの友人である画家カルロス・カザジェマスによるものと考えられている手稿の展評の一部を見てみたい。「よき友パブロ・ルイス・ピカソより心のこもった招待をうけ、私たちは「四匹の猫」で開かれている展覧会を見に行った。…(中略)…絵画の分野において、彼はひとつのある革新である。彼は、熱心に新しい流派を自分のものにした―いとも簡単にけれども力強く」(注7)。ここでは、ほぼ全文にわたりピカソの初個展に関して非常に好意的な賛辞がよせられている。さらに以下のように続く。「鉛筆、木炭そして絵筆のそれぞれのストロークが、芸術の中にある深い信念とピカソにとって特別な異論の余地のない巨匠であり神威であるエル・グレコやゴヤの傑作を想起させるようなある種の傑出した熱狂を表わしている。肖像画群は傑作といえるかもしれない。つまり、そのすべては私たちが知っているランブラス通りをぶらつきパイプをふかす人たちの姿を真に具現化しているのだ。さらに名士たちに加え、その肖像画の一群はまた今の時代を描写している。これはめったにない歴史的な記録といえるかもしれない。ちょうど知的分野において重要な役割を果たした名士たち(一部の例外を除いて)の陳列室を示したカザスの展覧会のように」(注8)。この記述からはピカソが本格的なデビューにおいて、今の時代に即した「新しい流派」、つまり「モデルニズム」を自分のものとして吸収し、かつそれを「革新」として記していると同時に、エル・グレコやゴヤといった過去の時代のスペイン美術の巨匠を連想させるという記述によって評価していることがわかる。また、文末のとおりにピカソの個展は、前年1899年の10月26日からバルセロナのサラ・パレスにて開催されたモデルニズムの代表的な画家ラモン・カザスの大規模な個展の性格に影響を受けてのことと指摘されている(注9)。そして再び1901年6月にピカソはカザスととも

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