鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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第19窟に隣接し、同様に西南を向く。正壁の東北壁は中央に如来倚像、左右に羅漢像を配するが、現在ほぼ失われている。南東壁も中央に如来倚像、右に騎獅文殊菩薩―26―(第19窟)西南を向き、東北を正壁とした小さな窟で、東北壁中央に如来坐像、左右に羅漢像を配する。南東壁右に如来倚像、左に菩薩立像を、北西壁は左に如来坐像、右に恐らく菩薩立像があったらしい。全体に風化が酷く、詳細がわからない状態である。しかも、旧状の写真も紹介されていないため、当初の像の姿は不明である。(第20窟)像、左に菩薩立像を置くが、文殊菩薩像の踏み下げた右脚の一部を残す以外は、ほぼ削り取られている。同様、北西壁にも中央に如来坐像、左に騎象普賢菩薩像、右に菩薩立像があったようだがみな失われている。本窟も旧状の写真資料が欠けているため、像容を知ることが困難であるが、文殊菩薩像のわずかな残存部分を見るかぎり、抑揚のある肉体表現や自然な衣文線であることから、小窟ながら造形的に水準が高い窟であったと思われる。(第21窟)最西端に位置する窟で、第9窟を除いて最大の大きさを誇る。内部の崩壊が酷く危険の恐れがあるため、近年門口をコンクリートで固め、現在は中へ入ることができない。北壁は中央に如来坐像、左右に菩薩坐像を、東壁は中央に如来倚像、左右に菩薩立像を配するが、ほとんど失われている。西壁は中央に如来坐像、左右に菩薩立像があったようだが、右の菩薩立像の輪郭を辛うじて残すのみである。北壁の如来坐像は、現在ハーバード大学フォッグ美術館に所蔵されるが、引き締まった面貌や自然な肉体表現、緊張感のある衣文線など、写実性を重視した、まさに唐代彫刻の最高峰といえる像である〔図9〕。右の菩薩坐像頭部はメトロポリタン美術館、左の菩薩坐像の頭部は根津美術館の所蔵であるが、ともに艶かしさを感じさせる美しい面貌を持つ。2 唐代窟に関する先行研究これまで唐代窟の造営年代について、何人かの研究者が考察を行ってきた。7世紀末から8世紀前半、すなわち則天武后期から玄宗期にかけて造営されたという点では大方一致しているが、造営開始年代は、研究者によって最大約20年もの開きがある。最も早い造営開始年代を唱えるのは、鈴木潔氏である(注7)。唐代窟中、合計7窟の本格的な編年を試みておられ、様式検討の結果、第4窟、第5窟を680年から700年頃、第14窟と第18窟東西壁を700年から710年頃、第21窟と第6窟は710年頃から720

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