注Robert ROSENBLUM, Cubism and Twentieth-Century Art, London: Thames and Hudson, 1960, p. 25.―350―が失われているといえる。そして、このようなフランスが期待するスペイン像というものがある程度形成されていた状況において、その期待に答えることもまたパリを目指したスペインの芸術家たちにとっては、パリの画壇に受け入れられるための必要条件であったのではないだろうか。彼らの作品が正統に「スペイン的」である、つまり闘牛などスペインの典型的主題、あるいはスペインの巨匠を想起させる要素を保持しており、そしてかつ同時代フランスの芸術を吸収しているからこそ、フランスの画壇や美術市場において価値のある作品として受けとめられたのではないだろうか。1902年のベルト=ヴェイユ画廊でのピカソの展覧会は、スペイン人の画商ペレ・マニャックの企画によるもので、彼はピカソに限らず、当時、パリにおいてスペイン画家の売込みを積極的に行い、実際に画家たちにスペインで絵を描きそれをパリに持ち帰るように助言してもいるのである。結語19世紀末から20世紀初頭にかけてピカソをはじめパリを目指したスペインの前衛的な画家たちは、スペインにおけるナショナリズムの高揚による「起源」の模索やフランスの「スペイン趣味」によって熟成されたスペイン像と深く関わりをもち、その狭間で揺れ動くものであったのではないだろうか。過去のスペインの古典美術の流れを汲みかつ今現在のフランスの近代芸術を体得している、それらの二要素をパリを目指したスペイン人画家たちが求めたのか、求められたのか、あるいは彼らの作品にそれらを積極的に見ることができたのか、見いだそうとしたのか、戦略的な自覚の有無はあるにせよピカソ作品をはじめスペイン前衛美術に見られる伝統や古典美術からの影響や引用およびそれに関する言説は、当時のスペインとフランス両国の社会状況の対話の中で見ることができ、そしてまた複数の引用・影響がみとめられている《アヴィニョンの娘たち》の中にもその片鱗を見ることは必要ではないかと考える。ただしこの問題は広範囲にわたるテーマであり、フランスとスペインというふたつの国の間のものだけではなくスペイン国内での各地方、民族間のアイデンティティの相違という点も重要である。したがって、スペイン前衛画家たちをひとつの共同体意識をもつ集団として扱うこともまた危険であり、その重要性を認識しつつ、本研究はそこに一石を投じるものとして考えたい。
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