>ピエロ・デッラ・フランチェスカ作《出産の聖母》―356――その制作年代および制作動機に関する試論―研 究 者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程 林 克 彦序論《出産の聖母》〔図1〕はピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412年頃〜1492年)がモンテルキ郊外の小聖堂サンタ・マリア・ディ・モメンターナ(以下、「モメンターナ聖堂」と略記)に描いた壁画である。しかし、現在、壁画は画面の四方が欠落した状態で壁から剥がされて美術館に展示されており、聖堂はピエロが生きた15世紀当時の面影を完全に失っている。また、本作の注文に関する史料は見つかっていない。一方で、出産の聖母の図像の意味や機能に関する研究はきわめて乏しい。このような状況のもと、研究者は、主に様式分析に基づいてピエロの《出産の聖母》の制作年代の推定を試みるとともに、その意味や機能を推定してきた。しかしながら、研究者による諸見解は、制作年代に関しても、意味や機能に関しても、これまでのところ一致をみていない。他方で、《出産の聖母》はピエロ没後500年を記念するプロジェット・ピエロ・デッラ・フランチェスカの際にアレッツォの壁画連作《聖十字架伝説》とともに修復と調査の対象となり、その色彩の鮮やかさを取り戻すと同時に、ピエロが用いた絵画技法の詳細を明らかにした。本稿は、修復と調査の結果そして近年のピエロ・デッラ・フランチェスカ研究の成果をふまえたうえで、先行研究があまり考慮していないモンテルキの歴史的背景とピエロの人脈に着目し、モメンターナ聖堂の当時の機能を推定することで、《出産の聖母》の制作年代および制作動機に関する試論の提示を試みるものである。1.制作年代モンテルキはアレッツォとピエロの故郷サンセポルクロの間に位置する丘の上の小さな集落である。ピエロの母ロマーナはこの地の出身であった。モンテルキの丘のふもとを流れるチェルフォーネ川の対岸にはチテルナの丘がある。その丘のふもとにあった、内部幅4メートルあまりの方形の簡素なモメンターナ聖堂の主祭壇壁面に《出産の聖母》は描かれた。この壁画にピエロの作品として言及している最古の史料はサンセポルクロ司教の1623年の教区訪問の際の記録である(注1)。それによれば、当時、この「妊娠した
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