―358―「正多面体」を空間構成の枠組みとして用いることで、奥行き方向の空間をほぼ無く〔図4〕が短縮法に基づくきわめて緻密な作図で描かれているのに対して、《出産の一方で、バッティスティは、その様式的な特異性がしばしば取りざたされる天使の表現をむしろピエロ芸術の進展の結果ととらえ、《出産の聖母》をピエロ後期に位置づけた(注6)。マルトーネは《出産の聖母》をピエロ芸術の理論と実践の集大成と見なし、この壁画を1460年代後半というやや遅い年代に位置づけた(注7)。マルトーネによれば、ピエロは本作において、数学に関するその著書の主題のひとつであるし、聖母の腹部という最突出部を強調するという、新たな遠近法を試みたことになる。とはいえ、たとえば『絵画の遠近法について』の写本に付された穹窿格天井の線画聖母》に描かれた幕屋の幕の裏打ちの格子状の筋は、おそらく、画面よりもかなり上方に求められる1点を中心とする同心円と放射線に基づく簡便な作図で描かれている。また、2人の天使は1枚のカルトンの表と裏を用いることで得られる左右相称の2つの線画をもとに描かれている。フンギーニが発見したこの「称賛すべき絵」は、単純化された線で明確に区切られていながら微妙に異なる明度、彩度、質感をみせつつ、互いに調和する各色面が、全体として静謐な雰囲気を醸しだすなか、中心をなすマリアの腹部に観る者の視線をみごとに導く。しかしながら、そこに適用されている絵画理論自体はそれほど深遠なものではないように思われる。1990年代初頭の修復と調査の結果、《出産の聖母》と《聖十字架伝説》は、ともに、スポルヴェロの転写画をもとにブオン・フレスコとア・セッコの併用によって描かれていることが明らかになった。加えて、反射した床目地を表現したものと考えられていた聖母と天使のニンブスに残る碁盤縞〔図5〕は金箔の跡であることも判明した。メーツケが指摘したとおり、同様の碁盤縞はアレッツォの連作の中ではピエロが最初に描いたと思われる礼拝堂天井のリブ上の天使などのニンブスにも認められる。ところが、ピエロがおそらく1460年代に制作した《サン・タントニオ祭壇画》の諸聖人のニンブス〔図6〕、あるいは、ピエロが1450年代後半頃に制作した可能性が高い《ミゼリコルディア祭壇画》(サンセポルクロ、市立美術館)の諸聖人のニンブスには、反射した聖人の頭部が描かれている。《聖十字架伝説》の調査の際に足場に登って間近でその絵画面を観察したメーツケはまた、同連作の中では初期段階に属す《アダムの死》と《出産の聖母》における肌色の彩色法、輪郭線の捉え方、人物の顔の特徴が近似していることを報告した(注8)。これらの事実は《出産の聖母》と《聖十字架伝説》の初期段階を同年代に位置づけたロンギの見解を裏づけている。
元のページ ../index.html#368