a.模写 26面 b.風景写生 39面 c.人物写生 25面―371―園が中島精一と結婚したことにより、秋尾家の親戚は写真業関係者が多い。園の弟秋尾新六は、中島精一に写真を学んだ。明治天皇に殉死した乃木夫妻の最後の日の写真を撮った写真家として知られる。新六の結婚相手の北山セイも中島門下の女流写真家であった。園の姉フミ子の息子の鈴木定次は、小西六で感光剤やフラッシュの研究をした。また、新六の子の勲、キミ子も写真家であった。中島精一にはたくさん弟子がいて園が生活の世話をしたという。秋尾新六は、大正5年に在家日蓮宗に入信して宗教指導者としての才能を現し、後に同会の指導者となった。中島精一の弟子系統の写真家の多くはこの在家日蓮宗の信者とのことである。園と中島精一との間には子が生まれなかったので、弟の新六とセイの間に生まれた次男の勲を養子にした。園は昭和4年(1929)11月5日に没する。そして中島精一は昭和13年(1938)1月18日に没する。中島家をついだ勲も写真術を買われて陸軍に入り、工兵大尉で終戦を迎えた。ソ連に抑留されてから帰国して自衛隊に入るが、すぐに退職して事業を始めた。しかし失敗して、昭和31年に中島家の厖大な所蔵品は散佚したという。園の油絵や素描も土蔵に山のようにあったが、全て散佚したという。おそらく今回の秋尾資料もその時散佚した一部である。幻燈機だけは科学博物館に寄贈された。科学博物館によれば、現在は上野の本館ではなく非公開の新宿分館に所蔵されているとのことであった。第2章 秋尾園資料の概要と歴史資料的意義秋尾園資料は雑多な内容であるが、筆者の関心から以下のように分類する。A.工部美術学校関係1)基礎科目学習資料a.幾何学 35面 b.遠近法 15面 c.飾画 20面2)素描・淡彩B.幻燈下図 43枚C.肖像下図 32枚D.浮世絵下図 37枚E.その他 雑(裏表両面に図がある場合は2面と数えた。また、どちらとも決定できない資料、例えば模写か写生か判断し難い場合は、便宜的にどちらかに数えた。)秋尾園資料の歴史資料的意義は、概略すると以下のようになろう。
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