鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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A.従来発見されていなかった工部美術学校での幾何学、遠近法、飾画の課題作品が―372―Foster’s Drawing Copy Bookを模写した作品がある。ある。B.上記課題の多くに年記があり、課題制作時期と順序が再構成できる。C.工部美術学校内の女子生徒を描いたと思われる素描が数枚ある。D.工部美術学校では使用されているとは従来思われていなかった図画手本VereE.今まで幻燈下図資料は発見されていない。それが多数ある。工部美術学校生徒の人物や風景の模写素描は、小山正太郎、松岡寿、山下りん等によるものの存在が知られ、公開もされている。しかし、幾何学、遠近法、飾画といった基礎科目の内容は想像するしかなかった。秋尾園資料には年記があり、工部美術学校での課題であることが明らかな課題が含まれていたのである。女子教室は10名以下の少人数であり、多人数の男子生徒教室と同一学習内容かどうかは確認できない。女子教室は男子予科課程とも違う。それゆえ、本資料は単なる付随的な教育内容でしかないという解釈もあろう。しかし、全く想像するしかなかった内容の実物資料が出現した意味は大きいし、男子生徒も同一の内容かこの延長線上の学習したことは確かである。また人物写生には工部美術学校の他の女子生徒が絵を描いている姿を写したと思われる素描が数枚ある〔図2〕。これも女子生徒の姿を伝える貴重な資料である。秋尾園は夫の中島精一が幻燈スライド作成で成功したので、その彩色や下絵の製作に従事した。この幻燈下絵も資料中に少なからずある。幻燈は最近、発掘作業が進み視覚文化史的意味が検討されている。しかし、その下絵はほとんど発見されていないと思われる。その点でも注目されるが、その検討は次の機会にしたい。第3章 秋尾園の工部美術学校在学と課題ごく短期間在学したと思われる女性を除き、工部美術学校に入って実質的に学んだと思われるのは6人である。よく知られているフォンタネージ送別写真〔図3〕中の6人の女生徒のうち右端の服装が質素で年若な人物が秋尾園であろう。写真で氏名が判明していない川路花は大旗本浅野家の娘で一番の年上、大鳥雛は校長大鳥圭介の娘である。それらを考えると右端の女性である可能性が高い(注2)。ただ女子の最年少であっても、成績は山下りんに次ぐ優秀生であった。明治10年度の「画学生進歩表」では、第一級が山下りん、第二級が秋尾園、神中糸子、第三級が大鳥雛、山室政、川路花と等級づけられている。成績は経済的状況の厳しい順になっているかの如くである。その後の履修状況資料からも絵画専門と呼べる段階まで進ん

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