―374―Drawing Copy Bookを使っていたことが判明した〔図7,8〕。同手本はフランスのDessin Pour Tousとともに明治初期日本の図画教育や画塾で多く使われた。工部美術第4章 課題内容の考察幾何学課題はペンまたは烏口を使った様々な作図課題である〔図4〕。単純なものから楕円といった高度なものまである。「幾何名称」と題された一連の課題12面があり、フランス語で図形の名称が記されている。平面の後に立体の切断面等の作図が続く。ただ立体の作図は5面しかない。遠近法も幾何学と同時に履修した。幾何学より実際の絵画制作に近い内容もあれば、きちんとした立体の製図もある〔図5〕。飾画はルビから「かざりえ」と読むことが判明した。これはコンパスと定規で作図する連続模様である。そして水彩で薄く彩色されている〔図6〕。西洋の模様だけではなく中国の雷文もあり、当時の世界的な文様研究の成果が背景にある。この飾画に酷似している幾何学図案が長沼守敬資料に現存する(注3)。それらには1883年の年記がある。周知のように長沼は明治15年からヴェネツィア王立美術学校に入学して正式の専門美術教育を受けたので、同校での課題である。ただ、それらは酷似しているとはいえ、秋尾園の飾画と同一の図柄はないし、作図の精密度では長沼の方がずっと上である。けれども、当時のイタリアの美術学校には「飾画」の課題があり、工部美術学校でもそれが踏襲されたと言える。また、既に述べたが、風景上級の模写課題の手本にイギリスのVere Foster’s学校での使用が画塾等での一般的使用のきっかけとなった可能性がある。Ⅲ 結論本研究では冒頭の「問題の所在」で挙げた解明課題に対応して、以下のような結論を得た。ア 秋尾園は、旧沼田藩士秋尾利義の三女であり、弟は写真家・宗教指導者であった秋尾新六であるなど、知られていなかった家系・経歴を明らかにできた。イ 秋尾園にあった工部美術学校の課題資料は、ほぼ「画学生進歩表」の履修記録と一致すると言える。ウ 風景の上級模写課題にイギリスの図画手本を使っていたことが判明した。エ 工部美術学校の西洋画基礎教育は、長沼守敬資料と酷似した飾画があることから基礎科目は当時のイタリアの美術学校のそれを踏襲した教育であった。
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