@生活に根をはるベトナム民衆版画の諸相―378――中国民衆版画との関係性を中心に―研 究 者:京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士課程 桂 由 起はじめに東アジア一帯には中国民衆版画との類縁性が指摘される画群(注1)がいくつか存在するが、このうちベトナム民衆版画は、その影響関係が最も明白に表れた例である。テトの画と年画との対応、題材上の共通性(宗教信仰・動植物・美人童子・風俗生活・歴史故事と森羅万象に及ぶ)、特定の時と場をもつこと(門・戸・神龕・居間など居住空間に配され、季節や儀礼と関わる)、機能の多様性(吉祥・辟邪、装飾、教育・娯楽等)など、その共通性は諸方面にわたる。両者の関係性については、歴史・技術・風習・図像等の側面から、中国民衆版画がベトナムに伝わり定着したとする認識を共有するものの、その正確な時代や交渉経緯についてはなお十分な考証がなされていない。ベトナム民衆版画に関する先行研究としては、モーリス・デュラン『ベトナムの民衆図像』が詳しく、特に20世紀前半の生産・交易の具体的状況や図像レパートリーとその意味を知るのに有効である(注2)ほか、ベトナム国内の研究にも民衆版画の伝播と定着における外交使節や移民の重要性に言及したものがあり、発展経緯の解明に見逃せない視点を提供する(注3)。またこの分野での先駆的紹介を行なう田所政江氏のように、図像の比較2究もより深化すべきものとして残されている(注4)。本稿は、ベトナム民衆版画に関する情報が従来きわめて限られていたことに鑑み、現地調査を主軸とする基礎資料の収集と整理、およびそれに基づく比較考察の深化を目的とする。考察の中心は中国民衆版画との関係性の比定にあり、そこから双方に投影される文化土壌と生活の諸相そして民衆版画自体の性質や傾向を探ってみたい。1.歴史・社会的背景ベトナムと中国との歴史的な関係は紅河デルタを中心とする北部で長く、前2世紀から11世紀の約千年間その直接支配下に置かれたほか、独立後も中国の歴代王朝と藩鎮関係を結び、これを範としてその政治制度や統治システムを積極的に取り入れた。なかでも漢字や科挙制度の採用はベトナムをして東アジア漢字文化圏の一角に組み込み、上層階級を中心に共通の教養や規範意識を培った。儒教や大乗仏教も重視され、道教ともども土着信仰と混交して独自の民衆宗教を形成している。また戦乱や異民族
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