―379―(注6)については割愛し、他の3箇所について以下にその社会的側面を述べる。支配からの避難民や南海交易従事者などの集団移住は人と共に風俗習慣や技術を伝え、民衆版画の伝播と定着にもきわめて大きな役割を果たしたと考えられる。ベトナム民衆版画の起源について確かなことは判明していない。が、木版印刷術が中国から伝わったことはほぼ間違いなく、複数の史料からその始まりは13世紀に比定されている(注5)。実物遺品は15世紀の例が古く、17世紀以降増加の一途を辿り、18〜19世紀をその最盛期とする。印刷物の多くは仏典や儒教経典、歴史書や小説の類であり、宗教関係の印刷は寺院や道観でも行なわれた。高温多湿の気候風土により実物資料による時代考証は困難で、民衆版画制作も古くに遡る確証を得ない。ただ後述する村落共同体の形成時期や17世紀の遺品など複数の傍証より、その制作は16世紀には遡るものと推定され、18〜19世紀には最盛期を迎えたことが知られる。現今の民衆版画産地は、外交使節として明に渡った梁汝諧が木版印刷術を学び伝えたとされる初期の印刷中心地、ハイズオン(海陽)省のホンルック村やリュウチャン村また仏教の中心地とも地理的に近接することから、何らかの交流が想定される[Phan Cam Thuong他: 19][Bui Van Vuong: 19]。またベトナム特有の社会環境として、農村部における村落共同体の発達が民衆版画制作に及ぼした影響も少なくない。各村落共同体は版画や木彫など特定の工芸品制作に従事したが、これにより村同士の分業体制が確立し促された。その影響は共同体の表徴である公会堂建築の装飾と民衆版画との図像上の類似にも窺うことができる。2.主要産地の調査:生産と販売に関する見聞さて今回調査を行なったのは、民衆版画の産地で知られるドンホー、ハンチョン、キムホアン、シンの4箇所である。紙幅の都合によりやや性質を異にするシン版画ドンホー(東湖)村はハノイの北東約40km、バクニン省内に位置する。16世紀に始まるという代表的な産地である。農業と祭祀用紙製品の制作を主な生業とし、版画の生産は本来テト前後の季節仕事であった。工房は1950年代には30軒あったという[Durand: 20]が、現在はグエン・ダン・チェ氏とグエン・フー・サム氏・クア氏父子の家族工房二軒が一年を通じて専業として従事する。制作のみならず販売形態も変化した。曾ては多くの仲買人が船で買い付けに訪れては公会堂を賑わせ、また近郊の市へ行商に出向くこともあった。現在は主として国内外の愛好家や観光客が工芸品として購う。しかし村内の多くの家が今も冥器制作に従事すること、符水法師との密接な交流等が示すように、民衆版画制作はもともと信仰祭祀に関わる紙製品制作の一環と
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