鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注宮川寅雄「解説―岩村透の生涯と業績」(岩村透『芸苑雑稿 他』宮川編、平凡社、1971年、275−306頁)では慶應義塾大学講師となったのを大正2年としているが、慶應の資料に拠ったと思われる海津忠雄・加藤明子「澤木四方吉年譜」(『哲学』三田哲学会、第94集、1993年、(頁づけなし)の記述を採る。 岩村については、以下の文献に拠った。清見睦郎『岩村透と近代美術』聖文閣、1937年。宮川、前掲書。田邉徹「岩村透と明治期の西洋美術研究Ⅰ〜Ⅳ」、『鳰:成安造形大学研究紀要』1号78−85頁、5号2−16頁、6号4−12頁、7号33−41頁、1994−2001年。■岩村透『藝苑雑稿』(第二集)画報社、1913年、349頁。「モレリの古画鑑定法」の初出は不明。ただこの本に収録された文章はすべて「明治四十年から四十五年に至る間」に発表したものだと「緒言」にある。(同書1頁)■「英書で何か美術に関した書物はないか、あるなら何でも見せてくれ」と頼んだところ、出て来たのが初めて聞くラスキンの著書だったと岩村は回想している。「ジョン・ラスキン」(前掲『芸苑雑稿 他』130頁)■澤木四方吉「モレリの美術論」(『西洋美術史研究』下巻、岩波書店、1931年、363−394頁)。初■「第一編」1904年、「第二編」1905年、「第五編」1911年、いずれも画報社。第三編、第四編は刊■前掲『藝苑雑稿』(第二集)1頁。■田邉の場合、関係する雑誌『美術新報』の編集助手として職を与え、「親の様でもあり、又一所に遊ぶ時等は友達の様にして、指導して下さった」という。田邉孝次「岩村先生の思ひ出」(『美術随筆 巴里から葛飾へ』東邦美術協会、1936年、319頁)。田邉には『伊太利亜彫刻史』龍川社、1917年という著書もある。『東京帝国大学学術大観 総説 文学部』東京帝国大学、1942年、446−449頁。『東京大学百年澤木、児島、矢代、團、板垣の経歴やイタリアでの体験については拙著『イタリア、旅する心―大正教養世代のみた都市と美術』青弓社、2005年参照。坂崎については瀬戸慶久「坂崎坦」(『近代日本文学大事典机上版』講談社、1984年)、森口については『森口多里論集美術篇』第一法規出版、1986年に拠った。澤木については前掲「澤木四方吉年譜」に拠る。ヨーロッパの美術史家の生没年等については澤木四方吉「美術史家ヴェルフリン」(前掲『西洋美術史研究』下、401頁)。児島喜久雄「伊太利の日本学者」(『填空随筆』全国書房、1949年、271−293頁)児島喜久雄「ハンス・ティーツエ」(前掲『填空随筆』179−196頁)。矢代幸雄・井上赴 著『ジョージ・ワシントン』(扉では「ワシントン」)、実業の日本社、「英傑伝叢書第一編」、1917年。主に当時の米大統領ウッドロー・ウィルソンが著した伝記に「他の数書を参照取捨し、更に著者の卑見を加」えたものだという。矢代幸雄『私の美術遍歴』岩波書店、1972年、90頁。―393―精査することで、そうした事情を今後明らかにしていきたい。出は『三田文学』大正8年(1919)1月号(未見)。行されなかったらしい。史』部局史1、東京大学、1986年、677−685頁。原則としてDictionary of Art, 34vols., London-NewYork, 1996に拠った。

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