鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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B西インド前期仏教石窟の消長過程に関する研究―395――ジュンナル石窟における建築様式の展開を中心に―研 究 者:関西大学EU−日本学教育研究プログラムポスト・ドクトラル・フェロー      豊 山 亜 希1.はじめに―研究抄史と本稿の目的石窟寺院とは、自然の岩山を人為的に開鑿した宗教的空間を指す語である。インドは、玄武岩質の溶岩層に形成されたデカン高原という好適な地理条件を有することから、とりわけ石窟寺院の開鑿例が多い地域である。その数は現存が確認されるだけでも1200窟を超え、うち約90%がデカン高原西縁部のいわゆる西デカン地方(現在の行政区分におけるマハーラーシュトラ州にほぼ相当する)に集中する〔図1〕。その宗教的帰属は主として、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教に分類され、なかでも現存例の約75%を占める仏教石窟寺院の多くは、紀元前1世紀から紀元後3世紀頃までに開鑿されたと推定される(注1)。しかしながら、インドの石窟寺院に関する研究を牽引してきた美術史家の関心は、アジャンター石窟やエローラー石窟など、豪奢な荘厳形式をもつ紀元後5世紀以降に造営された、いわゆる後期窟と呼ばれる少数例に偏向してきた(注2)。そのため、簡素性と無装飾性を特徴とする紀元後3世紀までの造営例、いわゆる前期窟を考察するにあたっても、彫刻や壁画によって荘厳された、いわば前期窟においては例外的な造営例を抽出して調査研究を図ってきた経緯があり(注3)、こうした優品主義的な傾向が、一文化様式としての仏教石窟寺院に対する総合的理解を妨げてきた感は否めない。そこで本稿においては、インド最大の仏教石窟寺院で、前期造営期を通して継続的に造営活動が展開されたことが窺われる、ジュンナル石窟を研究対象として抽出する。そして、その構造的・様式的変遷を、石窟寺院に刻出された寄進銘の記録内容の変遷と関連づけながら考察することによって、初期歴史時代における社会的・思想的展開が、インド美術の初期相にもたらした影響について理解することを試みる。2.ジュンナル石窟の歴史的景観ジュンナル石窟は、マハーラーシュトラ州の州都ムンバイーの東方約120kmの地点に所在する、同名の町を囲む5つの丘陵に開鑿された、11支群からなる仏教石窟寺院群の総称で、窟総数は192窟を数える〔図2〕〔表1〕。ジュンナルの西方約40㎞の地

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