鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―397―その形態を変化させたとみられる。西デカン地方最古の仏教石窟寺院のひとつで、紀元前1世紀初頭の造営とされるバージャー第12窟は(注8)、ドーム型天井を載せた馬蹄型プランを柱によって身廊と側廊に区画し、後陣にストゥーパを彫りだす。その正面入口は、堂内の立面と呼応したアーチ型に全開する〔図4〕。やや時代を下ると、堂内への採光目的や雨水の浸入防止に工夫がみられるようになる。具体的には、窟正面を横梁によって上下に分割し、上半部にチャイティア窓とよばれるアーチ型の窓、下半部に堂内への矩形入口をそれぞれ開くようになり、のちには前面にヴェランダが付加されるようになった。この様式的発展の頂点に位置付けられるのが、インド最大のチャイティア窟であるカールレー第8窟である〔図5〕。同窟の造営以降、個々の石窟における開鑿規模は縮小していき、平天井を載せた矩形プランが主流となっていく。そして最終的には、この平天井・矩形プランのチャイティア窟は、方形の広間を囲む房室のひとつとしてヴィハーラ窟と一体化することとなる。この様式的変遷を基盤として、ジュンナル石窟のチャイティア窟も同様に、平面図によって大別することが可能であり、円形プラン1例、馬蹄型プラン4例、方形プラン5例に分類される〔図6〕。このうち最初に造営されたのは、円形プランを呈するトゥルジャー・レーナー第3窟と推定される〔図7〕。というのも、円形プランは、最も原初的なチャイティア窟の構造であると考えられており、インド最古の石窟寺院といわれるローマス・リシ窟も、矩形の前室を伴う円形祠堂である。また、マウリア朝の進軍に伴って西デカン地方より早く石窟寺院という文化様式を受容した、東インドのアーンドラ地方にも類似例が確認される(注9)。トゥルジャー・レーナー第3窟に後続するのは、ドーム型天井を載せた馬蹄型プランでありながらもヴェランダの付設に先立つ、レーニアードリー東第2窟とブド・レーナー第40窟である〔図8〕。その後、正面に柱廊式ヴェランダをもつアンビカー第26窟が造営され〔図9〕、レーニアードリー西第6窟とビーマ・シャンカル第2窟においてヴェランダの構造に地域的変容が加えられることになる〔図10〕。つまり、アンビカー第26窟が採用した、柱廊式ヴェランダの奥壁を横梁で上下に分割し、それぞれにチャイティア窓と入口を開くという標準様式が、レーニアードリー西第6窟およびビーマ・シャンカル第2窟においては採用されなくなるのである。ここでは、チャイティア窓は堂内へ貫通しない盲窓として彫りだされ、採光という実際的な機能よりも、むしろチャイティア窟の聖性を象徴するモチーフとしてその形態が利用されたと考えられる。この擬似窓を支える平天井の柱廊式ヴェランダは、後続の矩形プラン5

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