―407―「米斗翁七十八歳画」の年齢書がある。若冲は還暦後、改元のたびに一歳加算したとの狩野氏の説があり(注2)、寛永3年(1791)の作ということになる。・個人蔵「三十六歌仙図」紙本墨画 六曲一双・デンバー本「三十六歌仙図」紙本墨画 六曲一双どちらも画仙紙の押絵貼を用いた一双屏風である。〔図2〕は『國華清話会会報』誌上にて紹介された(注3)(以下、清話会本)。八十一歳の年齢書があり、デンバー本に2年先駆けての作例である。清話会本とデンバー本には重複する図柄が多く、またデンバー本の図柄については辻氏の詳細な記述があるのでここでは省くが、「六歌仙図」のモチーフが三扇分に拡大されて描かれる(注4)のに加え、無背景の画面におはぎ作り、お手玉やヨーヨー、シャボン玉遊びなどに興じる歌仙たちが描かれている。両本を比較すると、清話会本の右隻第三扇〜第五扇はデンバー本の左隻に、清話会本左隻第一扇〜第三扇、第五扇がデンバー本では右隻にとそれぞれ入れ替わっている。最晩年制作のデンバー本は清話会本に比べて線や形がより簡略化され、やや崩れた自由な筆勢が特徴である。省略されたモチーフも多く、「六歌仙図」や清話会本との比較で初めて何が描かれているのか分かる部分もある。例えば些末なことではあるが、狩野博幸氏がデンバー本の解説(注5)において山芋をする図とされているのは、「六歌仙図」と清話会本を見る限りではやはり田楽の味噌であろう。「六歌仙図」で僧が手にした棒には紐を通す穴があり擂粉木とわかるし、清話会本では擂鉢の中身が黒く、下で田楽を焼く炉の傍らにも同じものを盛った皿が見られる。以上3点の他に若冲作品ではないが、若冲の弟・白歳(宗巌)七十三歳の年齢書がある「田楽図」(注6)は清話会本およびデンバー本より図様を抜き出したような人物図である。若冲晩年期の水墨作品には工房が多く含まれる可能性が高いとの指摘もあり(注7)真筆か否かなどの問題は残る。しかし少なくともこのように回を重ねて制作されているからには、若冲にとって歌仙図とは思い入れのある、または繰り返し注文を受ける人気画題の一つだったのではないだろうか。三、上方絵本との関わり報告者は、若冲が画を学ぶに当たっては17世紀に上方で多数出版された画譜・絵手本類が大きな役割を果たしたと考えている(注8)。本稿でも、若冲の歌仙図と上方絵本との関わりをひとつの軸に論を進めていく。
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