六歌仙―410―に笊を伏せた人物の傍らには若冲得意の画題である伏見人形が置かれている。ここでは、「伏した」笊に「伏見人形」と、「ふし」という音が共通する。その上方で「伏した」歌仙は笊と同じ山型に体を丸めている。この音と形状から「富士」が連想出来ないだろうか。さらに画面上部には煙管の煙が描かれている。立ち上る煙といえばやはり富士で、この一扇の三人は「富士山」を体現した図であると見ることもできる。五、歌仙の比定辻氏は「右隻三扇目の白い顎鬚を生やした人物が柿本人麻呂と考えられるが、後は誰が誰だが判然としない」と述べている。しかし、四章で見たかたちの遊びのような手の込んだ仕掛けがあったことを考えれば、三十六歌仙の全員とはいかないまでも歌仙を判別する手掛かりをも図中に盛り込んでいるのではないかと考えられる。三十六歌仙中に僧侶は二人、女性は五人、若冲画も人数が符合している。若冲の趣向をもう少し検討してみたい。はじめに、人数の少ない六歌仙から見ていこう。まず女性の歌仙。これは当然、六歌仙の紅一点、小野小町である。絶世の美女は絵にも描けないとの意から小町の顔を見せず後ろ向きに描くのは、古くは佐竹本「三十六歌仙絵巻」から時代が下がって葛飾北斎の「うばがえとき百人一首」に至るまで広く見られる約束事である。また、若冲は小町の衣に桜の意匠を書き込んでいるが、前述の橘守国筆『画本鶯宿梅』には小野小町を描く際はかならず桜の汗衫を着せるよう指示があり、祐信筆『絵本小倉山』など他の画譜・絵手本類の歌仙図でも小町は桜の衣を纏っている。この辺りからも上方絵本との関連が考えられるかもしれない。次に盆から田楽を取る後姿の歌仙である。こちらは小町に対して美男の代表、在原業平であろう。業平格子と呼ばれる、横長の菱形を組んだ意匠の衣からそれがわかる。この業平格子も、近世の歌仙図では特に守国、春卜、祐信らの画譜類において多く見られる約束事である。残る僧正遍昭、喜撰法師、文屋康秀、大伴黒主の四人のうち二人が僧形、二人は還俗である。まず僧侶から見ると、桓武天皇の孫という高貴な身分の僧正遍昭が画面手前の襟立衣、詳しい伝承の残らない喜撰法師が諸肌脱ぎの人物であると思われる。襟立衣に描かれた雲の意匠は、遍昭の「天つかぜ雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」の歌を連想させる。康秀と黒主に関してはあまり根拠が得られないが、様々な歌仙図の類例から考えるに白い衣が康秀、黒い衣が黒主であろうか。
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