三十六歌仙―両本共通部分――411―松島仁氏は清話会本について「田楽の串を並べた炉を雲繝縁の上畳に見立てた式子内親王(右隻第四扇)や、『古今和歌集』中の詞書「そこに立てりける梅の花を折りてよめる」に倣って梅の絵を描く赤人(左隻第一扇)」と述べている。梅の絵によって歌仙を山部赤人とみる松島氏の指摘は大変面白く、報告者も賛成したい。ただ一般に知られる三十六歌仙に式子内親王は含まれないため、もう一方の田楽を焼く女性については違う答えが当たると思われる。田楽の炉を上畳と見るなら、そこに収まるべきは式子内親王と同じく皇族である斎宮女御か。しかし、図中唯一の後ろ姿の女性であり、桜模様の衣を纏うこの人物は「六歌仙図」と同じく小野小町が適当ではないだろうか。炉は前述のように琴の見立てであると考えたい。衣には「はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに」の歌にふさわしく、桜に加えて風を思わせる群雲のような意匠が見られる。小町と同じように、「六歌仙図」からは業平格子の衣を纏った後ろ姿の在原業平が転用されている。斎宮女御を描く際には几帳に隠すという約束があるが、図中には見あたらない。強いて挙げるなら、女性では唯一身体を他の人物の後ろに隠している歌仙(清、デ右1)であろうか。佐竹本やその他多くの三十六歌仙絵に選ばれた斎宮女御の歌は「ことのねにみねのまつ風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ」であるから、隣の男性が跨る琴に耳を傾けるような姿も、そして「松」と「風」に見える衣の意匠も関連する。さらに一歩進めて、衣の意匠など分かりやすいヒントに寄らない比定はできないだろうか。口に筆をくわえた人物図の典拠が祐信筆『絵本玉かつら』に求められることは前述した。この、「忍恋」の文字を吹き付ける遊女の図様は四代目山本春正作の「忍恋蒔絵硯箱」(ロンドン・ヴィクトリア&アルバート美術館所蔵)やニューヨーク・旧グリーンフィールド・コレクションの欽羊斎の硯箱のデザインとして使われており、当時広く知られたものであった可能性が高い(注9)。となれば若冲の「三十六歌仙図屏風」の「書」の図様は、単に同じ動作や姿勢というだけではなく口で文字を書くという印象の強い場面であるだけに、観る人に祐信を連想させるものであったのではないだろうか。となれば、若冲が故意に祐信を思わせるように人物像を転用して、歌仙の名を当てるヒントにしているのではないかと考えることも出来る。図像を借用することも趣向のうち、というわけである。では、この繋がりから思い起こせる歌仙は誰であろうか。若冲画にて人物が描く文字は「万歳」だが、図像自体が喚起する言葉は「忍恋」で
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