―420―・〔図4・上半分〕第3幅 出胎と試芸:画面上左半分の山を模写。画面上半分は釈・〔図4・下半分〕第1幅 降兜卒天:画面下半分の山水を模写。兜卒天上にあった・〔図5〕第2幅:下天託胎:下半分(左下)は、摩耶夫人の受胎を聞き、朝貢に訪・〔図6・上半分〕第4幅:歓楽から山中苦行:画面下部左の山 出家を志した釈迦・〔図6・下中央〕第4幅:画面下半分よりそれぞれ異なる3箇所から木を模写・〔図6・右端〕第5幅:降魔と労度叉 画面右端の山 画面上部は、釈迦の修行を・〔図7〕第7幅:初転法輪と三道宝階 画面上部右の山・この場面は釈迦の成道後・〔図8〕第7幅:初転法輪と三道宝階 画面下部左の山・この場面は釈迦が母摩耶常楽寺本は涅槃を欠く7幅が残っている(注6)。遙邨はここから、1〜5、7幅を模写し、8場面計5枚の模写を残している。迦誕生の場面を描いている。前世の釈迦が、六牙白象に姿を変え、摩耶夫人の下へ降下する。れる人々の行列を表わす場面だが、遙邨は山水のみを描き、人々の行列はすっぱりと省いている。なお同じ画面の下半分は、「国宝 融通念仏縁起 絹本着色 二巻 傳土佐光信京ト禅林寺」との書き込みのある、蓮池の模写。の引きとめようと、踊りなどの歓楽を尽くさせる場面 描かれているのは宮殿の背後にある山。邪魔する魔性と、邪魔にも屈せず解脱の境地に至る釈迦を、下部には外道(仏教以外の宗教)の代表である労度叉と、仏教側代表の釈迦の弟子・舎利弗の法術較べの場面を描く。はじめて行った説法(初転法輪)が描かれたもの。なおこの紙に遙邨の書き込みあり「釈迦如来八相図 鎌倉時代 筆者未詳 傳僧最澄筆 絹本着色 七幅之内○○滋賀懸常楽寺」夫人のために天上にのぼって説法した時、釈迦不在に困った民衆のため、梵天・帝釈天を伴って釈迦が天上より三道宝階を下ってくる場面が描かれたもの。模写画面中央の木と、左の山の間には、原典では光の帯を伴って下天する釈迦たちの姿があるが、遙邨はそうした人物描写は省いている。余談ながら、その後、1928(昭和3)年東海道を徒歩写生旅行して、その時のスケッチを元に代表作《昭和東海道五十三次》(1931年)を制作した遙邨だが、宿場の一つ「石部」では、東海道の街道より2kmほど離れた常楽寺本堂および三重の塔の遠景を描いている。本堂および塔は国宝である。これまでは単に、遙邨が街道筋の風景
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