鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注「歩いてきた道―作者の言葉―」『年輪』1958年4月 「美術界 帝展入選画で本県の人 池田遙村氏の『南禅寺』1926年11月8日 播磨日々新聞■上薗四郎「麦僊芸術の真価」『開館十周年記念 土田麦僊展』図録 1994年■加藤類子「徳岡神泉の世界」『生誕100年記念 徳岡神泉展』図録 1996年■今井淳「『池沼コレクション』について」『没後20年 池田遙邨展』図録 2008年■『釈迦の美術』展図録 2003年 滋賀県立琵琶湖文化館 pp. 114−115■神谷浩「池田遙邨と『古典』」『池田遙邨回顧展』2000年 中日新聞社 pp. 114−115■水野僚子「『一遍聖絵』の制作背景に関する一考察」『美術史』152同注 拙稿「《災禍の跡》のあとで―大正末期から昭和初期の池田遙邨」『大正イマジュリィ』No.2―423―2006年 pp. 10−132002年 pp. 266−267品は遙邨独自のものではない。例えば帝展出品作についても、第5回帝展(1924年)に出品された登内微笑作《梅雨だれの厳島》や、第6回帝展(1925年)の生田花朝作《春日》、禮田惠一作《豊公》、山口蓬春作《神苑春雨》、第7回帝展(1927年)の蓬春作《三熊野の那智の御山》(帝国美術院賞受賞)などがある。また、大正末頃に事業としてあった古画模写のよく知られた例として、前田青邨、小林古径による《女史箴図巻》(伝顧o之筆・大英博物館蔵)がある。東北大学の福井利吉郎が依頼し、実業家の原善一郎が出資、渡欧した前田、小林の両名が、大正12(1923)年模写を行い、現在模本は東北大学附属図書館蔵となっている(注11)。遙邨が模写をした《春日権現験記絵》は、帝室博物館(現・東京国立博物館)が大正14(1925)年から昭和10(1935)年までの歳月をかけて前田氏実・永井幾麻の二人の日本画家に模写をさせ、その模本は現在東京国立博物館にある(注12)。日本画家が粉本あるいは原本の模写により先人の技術等を学ぶことはこれまでなされてきたことであるし、粉本作成のための模写も必要に応じてなされてきたであろう。上述の事業2件はそうした目的とは趣旨を異にするが、大正末頃から昭和初期にかけての時代背景の中で、古画模写の事業がどれほどあり、またどのような意味を持っていたのか、今後調査を進めていきたい。そうした時代背景を捉えることで、遙邨の古画研究が、後年の遙邨芸術にどのように影響を及ぼしていったか、とりわけ戦時下において遙邨が寺社仏閣を積極的に描いたことの時代的な意味も、多角的に見えてくるであろう。(『池田遙邨―資料集』(1994年 倉敷市立美術館編)再録)笠岡市立竹喬美術館 p. 67京都国立近代美術館・読売新聞社 p. 11海の見える杜美術館 pp. 100−101

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