E明治漆工芸の基礎研究―428――文献資料と在外作品の比較検討を通して様式変遷の一端を探る―研 究 者:大阪市立美術館 学芸員 土 井 久美子はじめにアメリカ合衆国東部、メリーランド州ボルチモア市にあるウォルターズ美術館には、ウィリアム・T・ウォルターズ(1819−94)とヘンリー・ウォルターズ(1848−1931)父子が蒐集した西洋・東洋の古代から現代にわたる広汎なコレクションが収蔵されている。これらはヘンリー・ウォルターズの死後、ボルチモア市に寄贈され、ウォルターズ美術館として公開されている。収蔵品のなかには、1876年アメリカ合衆国独立を記念して開催された万国博覧会(Centennial Exhibition)の出品作品が特に多く含まれる。このうち蒔絵を中心とした漆器の一部は1970年、スウェーデンの研究者マーサ・ボイヤー氏によって『Catalogue of Japanese Lacquers』という一冊の図録にまとめられている(注1)。本書所収の漆工品は三九三点で、印籠・菓子器・香箱・香合・棗・杯・櫛・笄などからなり、十八世紀から十九世紀にかけて製作された日本の蒔絵小品が大半をしめる(注2)。マーサ・ボイヤー氏は本書に掲載される作品のうち四十三点が1876年フィラデルフィアで開催された万国博覧会からの購入品であること、また七点が1878年のパリ万国博覧会における購入品であると記している。明治六年(1873)のウィーン万国博以降、日本政府は万国博覧会に積極的に参加した。日本の手工芸品の技術力は優れており、数多くの漆工、陶磁、金工、染織品などが博覧会を通して輸出されていたことは政府が刊行した博覧会報告書にも明らかであるが、特定の博覧会出品物がまとまって保管されている例は珍しい。欧米のコレクションには江戸後期から明治期にかけて輸出された大量の日本の蒔絵が現存している。この中には江戸末期の開国ののち、十九世紀の後半に日本から流失したものが多いといわれる。しかし取得の時期や経緯が明らかなものが少なく、日本からの輸出の状況を特定する資料に欠けている。このような状況のなか、フィラデルフィア万国博覧会、パリ万国博覧会において購入したことが明らかであるウォルターズ美術館の蒔絵を精査することは、明治期の蒔絵輸出に関する一端を明らかにする上で必要な作業といえる。このたび、ウォルターズ美術館のご協力を得て、作品とアーカイブの調査を行うことが許された。本稿では、その成果をもとにウォルターズコレクション所蔵のフィラデルフィア万国博覧会出品の蒔絵について報告し日本政府刊行の目録と照合し、若干
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