鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
441/499

―431―なる。このうち大ぶりなものは香道具箱、香道具棚硯箱、料紙箱、絵具箱、短冊箱など少数であるが、大半は上質の粉を用いた精緻な蒔絵の小さな器である。器形は箱あるいは合子など蓋物が多く、全体の半数を超える作品が香箱、香合など香道具である。松梅葵紋散蒔絵香箱のように葵紋が付された江戸期の典型的な作品をはじめ、軍配形・冊子形・亀形・貝形など、いろいろなものの形を象ったものが含まれている。本書の解説にはフィラデルフィア万国博覧会購入品のうち二十八点は箕田長次郎から、五点は若井兼三郎から入手したものと記される(注8)。箕田長次郎は(1840−?)江戸に生まれ、安政六年(1859)日本橋西川岸町から横浜本町五丁目に移り杉本屋という屋号で銅器と漆器の店を開き、徳川幕府の瓦解によって職を失った工人を抱え輸出品を製造させていた。ウィーン万国博覧会で政府から命ぜられ出品作の調達を行い、フィラデルフィア博覧会では出品作である漆器、家具などが褒賞を得ている。また若井兼三郎(1834−1908)は浅草松山町に店を開き、高村光雲の『幕末維新懐古談』によれば、後に京橋南鍋町で近兼という道具商を営んでおり、ウィーン万国博覧会において、政府から漆器商として展示品の収集を委託され、物品の販売のために博覧会に派遣された。ウィーン万博後に肥前出身の茶商松尾儀助とともに政府の後援により起立工商会社を起こし、松尾儀助が社長、若井は副社長となり、フィラデルフィア万国博覧会には起立工商会社の一員として参加していた。箕田、若井の両者はともに明治前期を代表する日本の輸出商である。後述の万国博覧会関連の報告書にもその名が散見される。しかし実際に彼らが輸出に関わった作品が何であったかについてはさほど明確ではない。その意味でもウォルターズ美術館の作品は貴重な資料である。三、フィラデルフィア万国博覧会に出品された日本漆器フィラデルフィア万国博覧会の会場で日本からの作品の大半が陳列されたのは本館部分であった。『米国博覧会報告書日本出品目録 二』に付属する「米国費府博覧会本館日本列品区画図」によれば漆器は本館の西翼にある日本の陳列会場に並べられたことがわかる。陳列は陶磁器、漆器、七宝などというように技法・素材別であり、それらはさらに起立工商会社(ロ)、箕田長次郎(ハ)、新井半兵衛(ニ)、太田萬吉(チ)などと、出品者ごとに飾りつけられていた。この時の出品物は明治九年(1876)米国博覧会事務局によって編纂された『米国博覧会報告書 日本出品目録 第二』(注9)に記録されている。漆器は第二百十七区

元のページ  ../index.html#441

このブックを見る