―435―ながら、後の輸出向けの粗悪な作品とは異なる良質な作品が多く含まれていることがわかる。1883年ビゲローはロッジに宛てた手紙に日本の古美術品市場について書いている。そこには二年前に漆器が殆ど市場から姿を消し、それ以来、その価格が二、三倍にはねあがったとある(注17)。フィラデルフィア博覧会には日本の江戸期の良質の蒔絵が大量に出品され売却された。1878年にパリで行われた万国博覧会に於いても江戸期の蒔絵が出品されており、ウォルターズは八点の印籠を購入している。この博覧会では日本の漆工について、新製品はシャン・ド・マルスに、古美術はトロカデロと別々の会場にして展示された。江戸期以前の蒔絵は世界各地の古美術を集めた展示場に陳列された。この時展示品の一部は会場で販売されたが、同時に漆工の流れを紹介する各時代の優品が、フランスのコレクターと日本の博物局とによって展示された。パリ万国博覧会の開かれた1878年は、先にビゲローが指摘した日本の市場から漆器が殆ど姿を消したと書いた1881年を少し遡る。おそらく1878年は欧米において日本の蒔絵の人気が最も高まった時期であり、この前後に日本からの蒔絵輸出がピークを迎えたことが想像される。その意味でもフィラデルフィア博覧会は良質の江戸蒔絵を獲得する絶好のチャンスであったと考えられる。おわりに今回の作品調査でウォルターズコレクションの蒔絵のなかでフィラデルフィア博覧会、パリ万国博覧会に出品された作品がある程度同定された。これらのなかには江戸期の作例も多く含まれていること、これらがまさに日本美術愛好熱が高まった1876年、1878年という時期に日本から輸出された良質の作品であることが確認できた。確認の作業は思いのほか複雑で、作品の製作技法に関する詳細な調査には至らなかった。今後フィラデルフィア、パリ万国博覧会における購入品を精査することにより、江戸期と明治期の作品の制作上の違いの一端を明らかにし、さらに箕田長次郎、若井兼三郎が率いる起立工商会社周辺の蒔絵製作と流通の事情が解明できればと考える。この作品調査にあたり、ウォルターズ美術館の皆様に多大な協力を得ましたことをお礼申し上げます。特に資料をご提供下さり収蔵庫で作品調査にご協力くださいました同館研究員ウィリアム・ミンツ氏、ヘンリー・ウォルターズのノートの解読と作表にご協力下さいましたメトロポリタン美術館フェローシップ研究員モニカ・ビンチク氏に深くお礼申し上げます。
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