鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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■William R. Johnston, William and Henry Walters, the Reticent CollectorsJohns Hopkins University■‘Japanese Lacquers’, The Art Amateur, VOL.3, 1880■Le Japon à l’Exposition Universelle de 1878, Commission imperiale du Japon, 1878, Pt 2.Artマーサ・ボイヤー氏の著作にはその経緯は示されていない。同館元研究員Katherine Emerson-表紙はフィラデルフィア万国博覧会はアメリカ合衆国独立百年記念として開催されたから、その購入品を意味しており、インデックス「17−」と記される「山田」については明らかでない。最終頁にはヘンリーウォルターズの署名があり、裏表紙下にこの手帳が1975年にジョン・ウォルターズから寄贈されたことが記される。William R. Johnston, William and Henry Walters, the Reticent CollectorsJohns Hopkins University注Martha Boyer, “Catalogue of Japanese Lacquers”, Trustees, 1970. 本書は1980年、京都書院から監修吉村元雄、翻訳灰野昭郎『在外至宝 ウォルターズ美術館蔵 近世の蒔絵』として邦訳刊行された。 ウォルターズ美術館には前掲書に収録されない収蔵品がある。また残念なことにその一部は■井戸桂子「フィラデルフィア万国博覧会における日本―日米交流の原点」大澤吉博編『テクス■南北戦争が終結した1865年から世紀末まではギルデッドエイジ(金ぴかの時代)といわれ、アメリカにおいて資本主義が急速に発展した時期で、イギリスのビクトリア朝様式の影響をうけた、豪華絢爛、装飾的な建築様式や室内装飾が好まれた。ボストン美術館にはウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850−1926)、チャールズ・ゴダート・ウェルドなどが蒐集した蒔絵が寄贈されている。■箕田長次郎は後に、横浜本庁一丁目に店を移転。明治23年(1890)横浜市会議員となり、横浜フィラデルフィア万国博覧会への漆器出品者については米国博覧会報告書日本出品目録 二米国博覧会報告書日本出品目録 二 米国大博覧会日本出品区分目録 1−16頁 米国博覧会ボイヤー氏の図録にある作品については別途表記した。永島明子「海を渡った香道具」『香道具』2005年 淡交社田中芳男,平山成信編『澳国博覧会参同紀要』、森山春擁、1897年、192頁―436―1971年10月、1972年1月にニューヨークのサザビーズで競売に付され散逸している。Press, 1999, p. 34、ウォルターズはウィーン万国博覧会では日本の蒔絵を購入していない。;Education et enseignement ;Industrie ;Productions ; Agriculture et horticulture. Philippe Burty, ‘Exposiotion Universelle de 1878: Le Japon ancien et le Japon moderne’, Gazette desBeaux-Arts, decembre 1878, pp. 954−969, 1878.Ephrussi, Charles., Les Laques japonais au Trocadero, L’Art, vol.15, Paris, 1878Dell氏のご教示による。Press, 1999.トの発見』中央公論社、1994年。七十四銀行の頭取をつとめた。出品職工人名表5−32頁 米国博覧会事務局 1876年 事務局 1876年松尾儀助(1836−1902年)は佐賀藩足軽松尾儀八の子で、ウィーン万国博覧会に茶業調査のために派遣され、後に政府の援助を受けて起立工商会社を設立し、新古の美術工芸品の輸出にたずさわった。

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