鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―442―(大和文華館蔵)、2清瀧寺本は楊柳観音図(常盤山文庫蔵)、3宝島寺本および4正8.香川県直島町 極楽寺 白衣観音図 絹本着色 一幅 114.0×58.3〔図8〕9.広島県尾道市 光明寺 楊柳観音図 絹本墨画淡彩 一幅 39.8×18.9〔図9〕10.香川県丸亀市 長徳寺 楊柳観音図 絹本着色 一幅 110.0×47.5〔図10〕1〜5、9の6点は水墨のみもしくは水墨と淡彩の観音図で樹木や滝・岩などの背景の自然景には水墨画技が用いられ、観音の図像は現在多数確認されるもっとも標準的といえるものである。同図像の作例として、1持光寺本は、愚渓右恵筆白衣観音図楽寺本は、約翁徳倹賛白衣観音図(奈良国立博物館蔵)などが挙げられる。5三恵寺本は減筆で描かれた禅僧による余技の画とも思しき簡略なものであるが図像としては1持光寺本と同じく愚渓右恵筆白衣観音図と同図像である(注1)。6〜8、10は着彩のもので、6香川県個人本は蕾を手に持つなどの細かな差異がみられる以外は、墨画の徹翁義亨賛白衣観音図(真珠庵蔵)がほぼ同図像をとる。正面を向き膝上で両手を組む7金刀比羅宮本は、大幅の明兆筆白衣観音図(東福寺蔵)同じく、応永19年(1419)年制作明兆筆三十三観音図(東福寺蔵)中、正面を向く「比丘比丘尼優婆塞優婆夷身」が同図像であり、白衣、肉身、頭髪、登頂仏などに濃い彩色が施されている。また7金刀比羅宮本も明兆筆と伝えられるなど、この図像が明兆様として広く認識されていたと考えられる。6香川個人本および7金刀比羅宮本は幾分平面的でのっぺりした彩色などから室町時代制作と考えられるが、写し崩れなどなく図像はよく踏襲されている。8極楽寺本は、観音の図像は明兆筆三十三観音図(東福寺蔵)中の1幅「雲雷鼓掣電」と同図像だが、観音は岩座の上に坐すのではなく波上に浮かぶところが大きく異なり、これは海上に普陀山の観音が示現したようすをあらわしたものである(注2)。細かい白衣の襞、波のうねりといった細部の表現および、背景の波の描線、墨の濃淡により精緻で透明感を感じさせる描法は南宋画の特徴を有したものである。9光明寺本は、南宋の癡絶道冲(1169〜1250)の賛があり、傍らに承盤と柳枝を挿した浄瓶がおかれ、宝冠をかぶり天衣をまとう楊柳観音が円相の中に右膝を立てて坐す図像である。衣紋線や宝冠をはじめ画面全体は細い墨線で描かれ薄く隈がいれられ、衣や頬、唇などには淡彩が施されている(注3)。10長徳寺本は楊柳観音が右手に柳枝を左手に鉢をもち踏み割り蓮華の上に立つ図像で、同図像に普悦筆阿弥陀三尊図の脇侍の観音図が挙げられる(注4)。以上のように見ていくと、墨画だけでなく着色の白衣(楊柳)観音図が瀬戸内地域には比較的まとまって伝来していることが分かる(注5)。さらに同図像作例の多い典型的な白衣観音図から8極楽寺本、9光明寺本のように典型化されていないものま

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